感情による治療

某新聞の社会面の片隅に一行のみの記事があります。
それは「何の数字」と題して、毎日ある数字を持ち出して、その数に関わるトピックスを紹介している記事なのですが、僕の新聞を読む順番として、いつの頃から、真っ先にこの記事から目を通してしまいます。

ちなみに今日の数字は
25.4%
これは
20代女性がストレス解消法に「泣く」と答えた割合。上位には「寝る」「甘いものを食べる」のほか、「笑う」も。笑顔も涙も理由はさまざま。(複数回答。武田薬品工業調べ)

といったものでした。

人間、健康的な身体を維持しようと思えば、「ストレスを溜めない」、「様々なストレスを上手に発散する」と言った事は誠に大切であります。
昔から「病は気から」というように、精神的な抑鬱感や負の感情といったものを抱え続ける事は、病気の状態にすでに片足を突っ込んでいるようなものとして考えられていました。
そんなストレスの解消法は、人それぞれだとは思いますが、記事にもあるように20代の女性のストレス解消法の一つに「泣く」と答えた割合が高かったのは意外な気がします。

しかし、これも東洋医学的に考えていけば非常に的確な対処法と言えるかも知れません。
例えば、人間の感情は五臓六腑(肝・心・脾・肺・腎・胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦)の内、五蔵(肝ー怒、心ー喜、脾ー思、肺ー憂悲、腎ー恐驚)に宿ると考えています。
こうしたそれぞれの五蔵に対応した感情に偏りが生じた場合、その感情を宿す蔵に歪みが生じてしまいます。
そこで、治療を行う場合は、身体に異変を生じた辺りにどういった心理状態がそこに働いていたかを聞く事がとても大切になってきます。

ちなみにこの五蔵には相剋関係と言って、片方が別の片方を抑制する、制御すると言う間柄があります。
例えば、肝は脾が増長しないように抑制をかけようとしますし、同じようにして肝は肺によって制御されるような関係にあります。
このような関係を頭に入れた上で、ストレスにより怒りやイライラの感情というのが積もり積もった時、これは肝という部分に多大な負荷がかかります。
そこで、その高ぶりすぎた肝を上手く制御するためには、肺の力で少し押さえつける必要があります。
この時に肺というのは、憂いや悲しみの感情を宿す蔵でありますから、「泣く」という行為が自然と、「怒り」の感情をなだめるように作用するわけです。
こういった東洋医学的な背景を知らない方のほうが多いかと思いますが、皆さんは自ずからこうした蔵の相剋関係を利用してストレスの軽減を図っているのですね。

さて、古代の中国にはこうした仕組みを治療に利用したが為に、とても不幸な結果を自らに招いてしまった医者がいます。

中国は春秋戦国時代の時世、斉の国に文摯(ぶんし)という名医がおりました。
ある時、宗と言う国の王様が悪性の皮膚病により病に臥せってしまい、あらゆる手を尽くしても一向に良くなりませんでした。
そこにたまたま居合わせた文摯が、この王様を診察する事になったのでした。
一通り診察を終えた文摯は、王子やお妃に対して、「病気を治す事は可能ですが、王様が全開した後にきっと私は殺されるでしょう」と言ったのです。
その理由というが、王様の病気が鬱積した感情が原因の病であった為、それとは拮抗関係にある怒りの感情を抱かせる事で気持ちを発散させる必要があるということなのです。
これを受けて、王子様達は王様が治っても絶対に殺させる事はしないと文摯を説得し、いざ治療を施す事となりました。
その治療というのが、治療の予約をドタキャンしたり、診察の際にあえて無礼な態度で接したりと、果たして文摯の思惑通り、王様は大変激怒する事となりました。
それと同時に、散々悩まされた病気はあっという間に全快してしまったのですが、そうとは知らない王様はどうにも腹の虫が治まらず、結局文摯は王子様の説得もむなしく処刑されてしまいました。

兎角、人の感情というのはなかなか自分では制御できないものですよね。
病気を治した文摯ですら、結局王様の怒りの感情を沈める事は出来なかったのですね。
相剋関係を利用した治療法として非常に効果があったと言えますが、何ともやりきれない話ですよね。
鍼灸治療なら、そんなわざわざ怒らせなくとも治療が出来るのではないか、とついつい思ってしまいます。

ヒゲのお話

何となしにインターネットニュースを流し読みしていましたら、こんな記事を見つけました。

今年の「世界ヒゲ選手権」は米国人男性が制覇、強豪ドイツの牙城崩す。
ここまで髭を伸ばすのは大変だったでしょうね。


昔、海外ドラマで『名探偵ポワロ』という番組が放送されていたことがあります。
僕はこのポワロシリーズが大好きで、主役のエルキュール・ポワロが、「ヘイスティングス!この灰色の脳細胞が〜」とお決まりの台詞を決め、難事件を次々と解決していく様を、小学生だった僕はテレビにかじりつくようにして見ていました。
このエルキュール・ポワロ役のデビッド・スーシェが、劇中、クルンと巻いた口髭を撫でる所が本当に印象的で、ポワロという個性を語る上で、欠かせない象徴だったように思います。
一度、偶然にもこのデビット・スーシェの口髭のない状態を目にしてしまった時、「ポワロじゃな〜い!」と酷くショックを受けたものでした。
周りでも髭を生やしている人が、ある日突然その髭をそり落としたりしていると、まるで人が変わってしまったように感じてしまう事ってありませんか?
髭はある意味、その人の個性そのものと言えるかもしれません。

しかしヒゲには無精髭などと言うように、のばし放題の手入れされていない髭は概ね女性陣に敬遠されやすいというイメージもあります。
逆にサラッと伸ばした髭に男らしさを感じると言う方もいたりして、人それぞれ感性の違いによって好みに差はあるかとは思いますが、悲しいかな、元の顔立ちの良い人は無精髭でも格好良く見えるのに、一方ではお洒落で生やしているつもりでも周りの人の不興を買ってしまうなんて人もいるかと思います。
自分の器量を秤にかけて考えてみると、伸ばしてみたいと思っても、そこはなかなか難しい問題です。

そんな僕も一時髭に憧れて、学生時代に少しだけ延ばしてみた事があります。
とは言っても、小心者の僕は、学校のない夏休みを利用してこっそり伸ばしていたのですが、丁度お盆の頃に帰省して家族の前に伸ばした髭を披露した際、母親や妹たちには「何だかカビみたい。」と散々酷評され、結局学校が始まる前に綺麗さっぱりと剃ってしまいました。

さてそんなトラウマのある髭についてのお話ですが、一口に“ヒゲ”と言っても伸ばす場所によってちょっとずつ漢字表記が違います。

一般に鼻の下と唇の間に生える毛を口ひげと言って漢字ではとなります。
それに対して頬に生えるヒゲは、顎に生えるヒゲならが当てはまります。
変わったのでは馬などのたてがみを表すもヒゲと読むそうです。

先ほど髭はその人の個性そのものだというお話をしましたが、東洋医学的にも髭と言うのはその人の持つ器量が滲み出るものとして、見た目にも美しい髭というのが大変尊ばれました。
三国志に出てくる豪傑達や項羽、劉邦、はたまた孔子、古代中国の歴史に名を残した偉人達の顔を見ると皆一様に本当に立派な髭を生やしています。
面相学においては、髭の生え方などで、この者は勇者の資質、王者の資質を兼ね備えた髭であると占う事もあるくらいです。
東洋医学で考える髭の生理ですが、これも黄帝内経霊枢の五味五音篇と言う所に記述があります。

黄帝曰、婦人無鬚者、無血気乎。
岐伯曰、衝脉、任脉、皆起於胞中、上循背裏、為経絡之海。其浮而外者、循腹右上行、会於咽喉、別而絡唇口。血気盛則充膚熱肉、血独盛則澹滲皮膚、生亳毛。今婦人之生、有余於気、不足於血、以其数脱血也。衝任之脉、不栄口唇、故鬚不生焉。
黄帝曰、士人有傷於陰、陰気絶而不起、陰不用、然其鬚不去。其故何也。宦官独去何也。願聞其故。
岐伯曰、宦官去其宗筋、傷其衝脉、血写不復、皮膚内結、唇口不栄。故鬚不生。
黄帝曰、其有天宦者、未嘗被傷、不脱於血、然其鬚不生。其故何也。
岐伯曰、此天之所不足也、其任衝不盛、宗筋不成、有気無血、唇口不栄。故鬚不生。


とありまして、要約すると人間の身体には正中腺に走る任脉と衝脉と言う経絡があります。
これらの経絡は非常に血に富んだ経絡と言われていて、その始まりは生殖器から上に昇り、顔面部に於いては顎や口の周りを囲むようにして巡っています。
髭はこの任・衝脉の血を養分として生えるのですが、女性で髭が生えないのは、生理によって一度に大量の血を放出する事になってしまうので、こうした髭の成長に回す分の血が無い為と言っています。
面白いのが、ここに宦官の人が髭が薄いのはどうしてか?という質問がされています。
宦官というのは、昔の中国では宮廷で仕事をする男性は去勢をしなければならず、そうした役職にある人を宦官(かんがん)と言いました。
宦官が髭が薄いのは生殖器を失ったために衝・任脉中の血が巡らずに髭が生えづらくなると言う理由からだそうです。

こういった事を応用して、逆に女性でも口唇周りに産毛が密集しているような方であれば、生理時の経血が上手く排出されず任・衝脉上に血が停滞が生じることによって、全身にもそう言った血が滞りやすいと言った体質が疑われます。

美しい髭が重視されたのも、髭がこうした血の充実度、巡りの度合いを反映していると考えられたからと言えます。

すると、身内にカビのようだと評された僕の髭の立つ瀬がありませんね。トホホ....

紫蘇

どうもこれは性分でしょうか、新発売とか限定とか、ちょっと変わり種といったものに昔から弱くて、今回もそんな僕の好奇心をかき立てるような品物を発見してしまいました。
皆さんもご存じでしょうか?
PEPSI SISO
コーラでお馴染みのあのメーカーが出したシソ(紫蘇)風味のコーラを!

見慣れたロゴマークではありますが、驚くべきはその中身の液体の色。
コーラと言えば黒という固定観念がありますが、購入したシソコーラはなんと緑色だったのです。
恐る恐る蓋を開けると、まさしくあのシソの香りがツ〜ンと漂ってきました。
肝心の味の方はと言うと、これはこれで有りなのかとは思いますが、純粋にコーラを飲みたい人にはもはや別の飲み物と言えるかも知れませんね。

紫蘇の名前には、彼の有名な名医、華陀(かだ)が関係しています。
三国志がお好きな方はご存じかと思いますが、後漢末期に活躍した伝説の医師で、曹操の頭痛や関羽の矢傷(こちらは創作とされていますが)を治したエピソードや麻酔薬を用いての外科手術を最初に行ったなど、今なお医学の神様として崇められています。

そんな華陀が、蟹を食べて食中毒を起こし死にかけていた若者に、紫色の葉を煎じ、それを処方すると、その若者はたちまち死の淵から蘇ったと言われる所から、その時用いた紫の葉を『紫蘇』と呼ぶ由来になったそうです。

そんな逸話にも見られるように、紫蘇の葉には魚介類による食中毒の予防効果や消化不良に対する効用があり、薬味としてお刺身の隣に添えられています。
他にも気の巡りを良くし、腸胃の緊張を弛めるといった作用があり、妊婦さんの悪阻(つわり)などにも効能があります。
他にも紫蘇は梅と一緒に漬けて梅干しにしたりしますが、この梅干しも殺菌作用があり、お弁当などに入れておくと持ちが良いとされています。
特にこの高温多湿な梅雨から夏にかけては食べ物の足が速く、腐りやすい時期でもあります。
そんな紫蘇はこれからもってこいの食材と言えます。

ちなみに僕は天ぷらの中では紫蘇が一番の大好物です。
とは言え、家族で天ぷらをする際に、母親に頼まれて裏の畑に植わっている紫蘇の葉を取りに行くと、その紫蘇がある場所はヤブ蚊の群れなす所でもあったので、葉っぱを何枚か取る内に体中を蚊に刺されてしまいました。
ですので、好物の紫蘇は食べるには、ヤブ蚊の中に身を投じるリスクに葛藤していた思い出があります。

線香

気分転換という訳ではないのですが、今まで使用していた線香を、今回思い切って別の種類の線香に変えてみました。

一般の方からすると線香は、お墓や仏壇に供えたり、お香を焚く時の用途しかあまり使用目的がなさそうに思うかもしれません。(そう言えば、蚊取り線香なんて言うのもありましたね。)
しかし鍼灸師にとりましては、線香が無ければお灸が出来ない(そこまで大げさではないかも知れませんが・・・・)と感じるほど、とても大切な治療道具の一つです。
もともと線香がお灸をすえる際の点火器具として用いられたのは、お寺の和尚さん(昔のお坊さんは医者の役目も兼ねていました。)がお灸を行う時、手近にあった線香を使ったのが始まりだそうです。
そもそも線香の製法が中国から伝来してきたとされるのが、16世紀末の天正年間という話ですから、お灸治療に線香を用いるようになったのはそんな昔という事ではなかったようです。
では、それまではどうやってモグサに火をつけていたかと言うと、炙った火箸を使っていたといいますから、現在の我々がすえるような米粒大・半米粒大・糸状灸等のお灸はとても出来なかったようであります。

そんなこんなで、今ではお坊さんに次ぐくらいお線香を消費しているのは鍼灸師なのかもしれませんね。
とは言っても、我々が現在使っている線香は、お供えに使う線香に比べるとやや太めになっていて、燃焼の持ちが長いのが特徴です。
学生時代、初めてお灸用の線香を見た時、まるで線香の親玉みたいな太さに少しビックリしたものでした。
実際に太い方が持ちやすく、また小さなモグサにも点火しやすいのです。
お灸の実技になれない頃は、緊張のあまり手に汗をかき、線香の持ち手の部分の色が変わるくらい湿らせてしまったものでした。
慣れていない時によくやるのが、「提灯」と言って、モグサに点火しようとして線香を近づけていくと、その先端にモグサがくっついて、線香の先についたまま燃焼してしまいます。
さながら線香の先に提灯をぶら下げているように見えるので、「提灯」という風流な言い回しをされていますが、実技テストにおいて、決められた時間に一定個数のモグサを燃焼させないと合格できないと言う場面で、この提灯をやらかしてしまった時には、心の底で「オ〜マイゴッド!!!}と叫んでしまいます。(実際に叫んでいたかも知れませんが・・・・)
そんな学生時代の苦楽を共にしてきた線香ですが、今回は思い切って違う線香を使ってみることにしました。
別に大した理由ではなく、他の線香でお灸をすえるとどんな感じなんだろうっていうただの興味本位なのですが。

線香
今まで使っていたのが左側の線香、新しく購入した物が右側の線香です。
写真では見づらいかも知れませんが、左の線香に比べると右の線香の方が一回り細くなっています。
最初、新しい線香は細くてすぐに折れてしまいそうな頼りなさげな印象があり、もの凄く違和感がありました。
10年以上使っていた物からいきなり変えてしまったので、それは仕方がない事かも知れません。
それでも使い慣れてくると、まあこんなもんか、と言う感じで、さほど不自由な感じはしないのですが、やはり前の太い線香がもつ、あの重厚感がないのは何とも寂しい気がします。

でも実は、新しい線香を200本くらいまとめ買いしてしまったので、全部使い切る頃にはその細さが逆に手になじむようになっているのでしょうか?
今度また元の線香に戻した時に、太すぎて使いづらいと感じていたりして。。。。

ちなみに端っこについている電極クリップは、ちびた線香をギリギリまで使えるように柄の役割になるもので、これのお陰で最後の最後、5ミリくらいまで使い切る事が出来る優れものなのです。

職人の業物

日曜日に東京は月島に足を運んできました。
一番の目的は、晩ご飯に月島のもんじゃ焼きを食べに行く事でしたが、月島に知る人ぞ知る箸のお店があると言う事で、食事前の散策を兼ねてお店に立ち寄る事になりました。

目的の箸屋さんは、漆芸中島さんというお店で、江戸時代から11代続く老舗で、日本の伝統的な匠の技を現代まで脈々と守り受け継いでこられ、その評判を聞きつけ、全国から足を運ぶ方が絶えないのだそうです。

まだ下町情緒残る月島は佃島界隈を通り抜けると、ポツンと辺りの家並みの一角に溶け込むように、そこにお店がありました。
漆芸中島

お店の前には、噂に聞いた箸が並べてあります。
箸
この箸のすごいと言われる所以に、硬い材質の木を丹念に削り挙げ、箸の先端から末端に至るまで八角形になっていることです。
これを江戸八角箸と言うそうです。
この精魂込めた仕事によって仕上がった箸は、水に浮かぶコンニャクの端っこさえ楽々とつまむ事が出来るようになっています。
コンニャクをつまむ箸
お店のディスプレイ用の箸で実際に体験できる事が出来るのですが、普通の箸ならツルツルとして挟む事もままならないコンニャクを、いとも簡単につまみ上げれた時は本当に感動しました。
手にした箸は、まるで一流の日本刀の様に荘厳さと美しさで、身が引き締まるような思いでした。
この20センチ足らずの木の棒、一本一本に職人の魂が宿っているのを感じます。
これは、もはや芸術品の域に達した箸と言えるかも知れません。
この箸で食べる食事はまた格別な物になるに違い有りません。
誰でも一つ、一生通して使い続ける物として、こうした極上の箸を持つのもいいですよね。
ここで購入すれば、アフターケアで削り直しなどのメンテナンスもして頂けるそうなので、まさしく一生物の箸と言えます。

この日は、職人のひたむきな思いが、目の前に形となって、またそれを手にする事ができた感動に胸がいっぱいになってしまいました。



蛇足ですが、当初の目的のもんじゃ焼きもしっかり忘れずにいってきましたよ〜。
夜にはお腹まで一杯になってしまいました。
もんじゃ横町 もんじゃ焼き
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