皆様、連休はいかがお過ごしになられましたでしょうか?
日曜、月曜の二日のお休みを利用して、家族で佐賀インターナショナルバルーンフェスタに行ってまいりました。
佐賀インターナショナルバルーンフェスタは、5日間に亘って繰り広げられる競技バルーンおよびバルーンイベントで、延べ90万人近い観客を動員する国内有数のバルーンイベントです。
熱気球といえば、地元のお隣、佐久市でも、毎年5月頃に佐久バルーンフェスティバルというのが開催されていて、こちらもかなり賑わうイベントとして知られています。
毎年行きたいと思ってはいるのですが、いつも何かしらの予定が入って、これまで一度も足を運べずおりました。
そんな事をおぼろげに考えていたら、今回ちょっとした経緯があって、急遽、遠路はるばる佐賀のバルーンフェスタに行くことになりました。
4日の競技バルーンは午前7時からスタートという事で、前日は福岡県の久留米市に宿を求め、明日の早朝出発に備えます。
夕食を食べに出かけがけてら、久留米のアーケード商店街を散策。

早速、地元のマンホールを見つけ、写真に収めます。
色付きのマンホールに出会うなんて、なかなか幸先が良い感じです。
調べてみると、久留米絣と久留米市の花久留米ツツジがあしらわれている意匠なのだそう。

もう少し、じっくりと散策してみたかったのですが、なにぶん明日が早いということで、食事を済ませたら、そのまま宿泊先に戻って、就寝する事にしました。
さて、翌日は5時に起きて、「JR久留米駅」から、会場となる「バールンさが駅」へと向かいます。
バールンさが駅は、このイベントだけの為に臨時で設置される駅だそうで、「期間限定」という言葉に弱い僕は、この駅を利用できたことが、ちょっと得した気分に感じます。
朝早い電車だというのに、バルーンフェスタのお客さんで、電車は超満員でしたが、会場に近づくと、すでに数機のバルーンが立ち上がっていて、自分も含めて周りの方々も「わ〜っ」と歓声が上がりました。
さて、少しでも間近に!と足を運ぼうとした瞬間、「本日の競技バルーンは強風の為中止になりました。」との無情のアナウンスが!

確かに、目の前のバルーンが風に煽られて、ユラユラと揺れていました。

一旦は膨らんでいたバルーンも、一機、また一機とゆっくりとしぼんでいきます。
何とも残念な結果となってしまいましたが、せめてもの救いは、娘がバルーンを見て片言で「おおきい!おおきい!」と指差しては楽しそうに走り回ってくれた事でしょうか。
こうして間近で見てみると、熱気球の大きさは迫力がありました。
このバルーンが一気に空に舞い上がる光景は、とても幻想的だったでしょうね。
次回のリベンジを心に刻んで、会場を後にしました。

そんな失意の心を慰めるかのように、空には虹が出ていました。

帰途につく福岡空港では、帰りのフライト時間に大分余裕がありました。
そこで、博多市内に繰り出して、常々訪れてみたいと思っていた貝原益軒のお墓に行く事にしました。
曲がりなりにも、「健康」に従事する僕にとっては、貝原益軒先生は神棚にお祀りしなければならないような偉大な方で、江戸時代に中期に「養生訓」という医書を残し、その内容は現代においても養生の実用的な書として、とても優れた本であると思います。
いずれこのブログか、ホームページに貝原益軒の養生訓の話題を詳しく取り上げてみたいと思います。
福岡空港から地下鉄空港線で20分程行った西新駅という所に、貝原益軒の眠る「金龍寺」があります。
周辺にはヤフオクドームや、大濠公園などがある立地で、周りは大きな幹線道路やビルなどが立ち並ぶ通りに面した中に、ポッカリとエアポケット的な感じの中にお寺が佇んでいました。


境内は、閑静でとても広々して、表通りの喧騒が嘘のようです。

境内の奥に行った所に、貝原益軒の銅像とそのお墓が建っていました。
儒学の道に精通していた故人を偲んでか、文机を前に腰掛けるお姿がとても堂々としてイメージ通りでした。
少しでも養生の道の一端でもあやかれる様に、しっかりとお参りしてきました。

最後に、博多市内のマンホールの蓋。
何だか幾何学模様です。
何のイメージなのか調べてみましたら、,鳥,ヨット,街並みなどの抽象的なデザインの組み合わせで「人の都・福岡市のアクティブなイメージ」を表しているようです。

バルーンに貝原益軒と何の脈絡も無い旅行になってしまいましたが、僕的にはとても有意義な旅となりました。
日曜、月曜の二日のお休みを利用して、家族で佐賀インターナショナルバルーンフェスタに行ってまいりました。
佐賀インターナショナルバルーンフェスタは、5日間に亘って繰り広げられる競技バルーンおよびバルーンイベントで、延べ90万人近い観客を動員する国内有数のバルーンイベントです。
熱気球といえば、地元のお隣、佐久市でも、毎年5月頃に佐久バルーンフェスティバルというのが開催されていて、こちらもかなり賑わうイベントとして知られています。
毎年行きたいと思ってはいるのですが、いつも何かしらの予定が入って、これまで一度も足を運べずおりました。
そんな事をおぼろげに考えていたら、今回ちょっとした経緯があって、急遽、遠路はるばる佐賀のバルーンフェスタに行くことになりました。
4日の競技バルーンは午前7時からスタートという事で、前日は福岡県の久留米市に宿を求め、明日の早朝出発に備えます。
夕食を食べに出かけがけてら、久留米のアーケード商店街を散策。

早速、地元のマンホールを見つけ、写真に収めます。
色付きのマンホールに出会うなんて、なかなか幸先が良い感じです。
調べてみると、久留米絣と久留米市の花久留米ツツジがあしらわれている意匠なのだそう。

もう少し、じっくりと散策してみたかったのですが、なにぶん明日が早いということで、食事を済ませたら、そのまま宿泊先に戻って、就寝する事にしました。
さて、翌日は5時に起きて、「JR久留米駅」から、会場となる「バールンさが駅」へと向かいます。
バールンさが駅は、このイベントだけの為に臨時で設置される駅だそうで、「期間限定」という言葉に弱い僕は、この駅を利用できたことが、ちょっと得した気分に感じます。
朝早い電車だというのに、バルーンフェスタのお客さんで、電車は超満員でしたが、会場に近づくと、すでに数機のバルーンが立ち上がっていて、自分も含めて周りの方々も「わ〜っ」と歓声が上がりました。
さて、少しでも間近に!と足を運ぼうとした瞬間、「本日の競技バルーンは強風の為中止になりました。」との無情のアナウンスが!


確かに、目の前のバルーンが風に煽られて、ユラユラと揺れていました。

一旦は膨らんでいたバルーンも、一機、また一機とゆっくりとしぼんでいきます。
何とも残念な結果となってしまいましたが、せめてもの救いは、娘がバルーンを見て片言で「おおきい!おおきい!」と指差しては楽しそうに走り回ってくれた事でしょうか。
こうして間近で見てみると、熱気球の大きさは迫力がありました。
このバルーンが一気に空に舞い上がる光景は、とても幻想的だったでしょうね。
次回のリベンジを心に刻んで、会場を後にしました。

そんな失意の心を慰めるかのように、空には虹が出ていました。

帰途につく福岡空港では、帰りのフライト時間に大分余裕がありました。
そこで、博多市内に繰り出して、常々訪れてみたいと思っていた貝原益軒のお墓に行く事にしました。
曲がりなりにも、「健康」に従事する僕にとっては、貝原益軒先生は神棚にお祀りしなければならないような偉大な方で、江戸時代に中期に「養生訓」という医書を残し、その内容は現代においても養生の実用的な書として、とても優れた本であると思います。
いずれこのブログか、ホームページに貝原益軒の養生訓の話題を詳しく取り上げてみたいと思います。
福岡空港から地下鉄空港線で20分程行った西新駅という所に、貝原益軒の眠る「金龍寺」があります。
周辺にはヤフオクドームや、大濠公園などがある立地で、周りは大きな幹線道路やビルなどが立ち並ぶ通りに面した中に、ポッカリとエアポケット的な感じの中にお寺が佇んでいました。


境内は、閑静でとても広々して、表通りの喧騒が嘘のようです。

境内の奥に行った所に、貝原益軒の銅像とそのお墓が建っていました。
儒学の道に精通していた故人を偲んでか、文机を前に腰掛けるお姿がとても堂々としてイメージ通りでした。
少しでも養生の道の一端でもあやかれる様に、しっかりとお参りしてきました。

最後に、博多市内のマンホールの蓋。
何だか幾何学模様です。
何のイメージなのか調べてみましたら、,鳥,ヨット,街並みなどの抽象的なデザインの組み合わせで「人の都・福岡市のアクティブなイメージ」を表しているようです。

バルーンに貝原益軒と何の脈絡も無い旅行になってしまいましたが、僕的にはとても有意義な旅となりました。
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天長地久 ~長野県東御市から送る鍼灸師の日常~
久しぶりの更新です。
随分とご無沙汰しておりました。
半年ぶりにこのブログに何を投稿するのか、になりますが、ついに佐久平駅前にに設置されたと話題沸騰!?の北斗の拳のマンホールを見て参りましたので、その報告をさせて頂きます。
原作者の武論尊さんが、佐久市出身とのご縁で、今回北斗の拳のデザインマンホールが設置されそうです。
北斗の拳は、ちょうど学生時代にリアルタイムでその漫画を愛読していた世代でもあり、マンホールの蓋を見て回る事が好きな自称マンホーラーの僕にとっては、見に行くのはちょっとした義務にも似た思いで佐久平駅に足を運んだのであります。
家の者には、娘の散歩という大義名分を掲げて、早朝からマンホールの蓋を見るだけの為に、佐久平駅へと車で30分かけて向かいました。
目的はただただマンホールの蓋を見ることだけですので、当然のように着いてすぐ、早速マンホールの蓋を探し回ります。
苦労したのは、マンホールの蓋など全く興味のない娘が、勝手気ままに歩きたがるのを、何とかその手を引きつつ探す事でした。
そうこうして、見つけたのは南斗水鳥拳の使い手「レイ」のマンホールです!
(あまりご存じない方には、この興奮は伝わらないかもしれません。)
思っていた以上に、鮮やかなカラーでかなりクウォリティーの高いものでビックリです。

心憎いことに、こうしたマンホールの蓋が全部で7つ設置されており、しかもそれが北斗七星の形で配されているというのです!
案内板を参考にしながら、早朝から意気揚々とむずがる子供の手を引きながら、足元を必死に見つめる親子。
周りからはどのように映っていたでしょうか?
次に見つけたのは「聖帝サウザー!」です。

何も知らない娘は、畏れ多いことにサウザー様の顔を踏みつけて素通り。
世が世紀末なら、聖帝陵を作る労働者として捕らえられてしまった事でしょう。

次は、ご存じ主人公の「ケンシロウ」です。

さらに「ジャギ」様。(何となく様を付けてしまいます。)

そして「ユリア」と順調に見つけていきます。
この頃になると、娘も色付きのマンホールの蓋を探していると察してくれたようで、自ら進んで色付きのマンホールへと突進してくれるようになりました。
なかなかマンホーラーとして見所がありそうです。

そして北斗四兄弟の次兄「トキ」。

最後にトリを飾るのは、もちろん「拳王ラオウ」、その人です。

ラオウに行く着いた時は、早朝の佐久平駅前広場でやり遂げた!という達成感に親子で満たされておりました。
早朝からワクワクの宝探しをしたみたいで、とても充実した朝となりました。
佐久平駅に立ち寄る事がありましたら、是非「北斗の拳マンホールの蓋探し」トライしてみてはいかがでしょうか。
久しぶりのブログの話題が、院長のものすごく偏った趣味の話でも申し訳ありませんでした。
随分とご無沙汰しておりました。
半年ぶりにこのブログに何を投稿するのか、になりますが、ついに佐久平駅前にに設置されたと話題沸騰!?の北斗の拳のマンホールを見て参りましたので、その報告をさせて頂きます。
原作者の武論尊さんが、佐久市出身とのご縁で、今回北斗の拳のデザインマンホールが設置されそうです。
北斗の拳は、ちょうど学生時代にリアルタイムでその漫画を愛読していた世代でもあり、マンホールの蓋を見て回る事が好きな自称マンホーラーの僕にとっては、見に行くのはちょっとした義務にも似た思いで佐久平駅に足を運んだのであります。
家の者には、娘の散歩という大義名分を掲げて、早朝からマンホールの蓋を見るだけの為に、佐久平駅へと車で30分かけて向かいました。
目的はただただマンホールの蓋を見ることだけですので、当然のように着いてすぐ、早速マンホールの蓋を探し回ります。
苦労したのは、マンホールの蓋など全く興味のない娘が、勝手気ままに歩きたがるのを、何とかその手を引きつつ探す事でした。
そうこうして、見つけたのは南斗水鳥拳の使い手「レイ」のマンホールです!
(あまりご存じない方には、この興奮は伝わらないかもしれません。)
思っていた以上に、鮮やかなカラーでかなりクウォリティーの高いものでビックリです。

心憎いことに、こうしたマンホールの蓋が全部で7つ設置されており、しかもそれが北斗七星の形で配されているというのです!
案内板を参考にしながら、早朝から意気揚々とむずがる子供の手を引きながら、足元を必死に見つめる親子。
周りからはどのように映っていたでしょうか?
次に見つけたのは「聖帝サウザー!」です。

何も知らない娘は、畏れ多いことにサウザー様の顔を踏みつけて素通り。
世が世紀末なら、聖帝陵を作る労働者として捕らえられてしまった事でしょう。

次は、ご存じ主人公の「ケンシロウ」です。

さらに「ジャギ」様。(何となく様を付けてしまいます。)

そして「ユリア」と順調に見つけていきます。
この頃になると、娘も色付きのマンホールの蓋を探していると察してくれたようで、自ら進んで色付きのマンホールへと突進してくれるようになりました。
なかなかマンホーラーとして見所がありそうです。

そして北斗四兄弟の次兄「トキ」。

最後にトリを飾るのは、もちろん「拳王ラオウ」、その人です。

ラオウに行く着いた時は、早朝の佐久平駅前広場でやり遂げた!という達成感に親子で満たされておりました。
早朝からワクワクの宝探しをしたみたいで、とても充実した朝となりました。
佐久平駅に立ち寄る事がありましたら、是非「北斗の拳マンホールの蓋探し」トライしてみてはいかがでしょうか。
久しぶりのブログの話題が、院長のものすごく偏った趣味の話でも申し訳ありませんでした。
天長地久 ~長野県東御市から送る鍼灸師の日常~
ゴールデンウィーク中の診療日ですが、4月29日(月)〜5月3日(金)は通常通り診療致します。
4月4日(土)、4月6日(月)を休診とさせて頂きます。
また5月18日(土)は、誠に勝手ながら休診とさせて頂きます。
4月4日(土)、4月6日(月)を休診とさせて頂きます。
また5月18日(土)は、誠に勝手ながら休診とさせて頂きます。
天長地久 ~長野県東御市から送る鍼灸師の日常~
あけましておめでとうございます。
毎年、年のはじめのブログの話題と言えば、1月8日に信濃国分寺にて頒布される蘇民将来符を頂きに行った報告が恒例となっています。
去年は6時頃に、信濃国分寺に赴き、2時間をジッと絶え続けるという苦行を自らに課してしまいました。
しかしながら、去年体感した寒さにすっかり日和ってしまいまして、今年は7時から並ぶ事に。
一時間、並ぶ時間を遅くした事で、境内は長蛇の列になっているのでは?と心配もしましたが、意外にも人の数はそれ程多くなく、逆に拍子抜けしてしまいました。

防寒対策は前年に引き続き、上から下まで考えられる服を惜しげもなく纏い、お洒落とは180°対極にある、着膨れ服達磨と化しました。
カイロも背中とお腹に5個装着し、万全の備えです!
ところが靴底に貼るカイロも前日の夜に、用意していたのですが、それを忘れてしまうと言うミステイク!
引き返す事も考えましたが、去年は靴にカイロを仕込んでも大して暖を取れた気がしなかったので、結果、面倒臭さが勝って足裏のカイロはあきらめる事にしました。(結果、これが大誤算となります。)

この日の気温は、これまで足掛け6年、八日堂縁日に並んだ中で、最も寒い温度となるマイナス10°!
いつも寒いのは覚悟の上でしたが、今まで感じていた寒さを更に上回る寒さとなりました。
何よりも、寒さが堪えたのは足です。
去年も、カイロを貼っても足の裏が寒いと感じましたが、それでもカイロを貼っていたからこそ、まだあの寒さを感じる程度で済んでいたのだ!と悟りました。
ただ立ちっぱなしだと、あまり足を動かす事もないので、まるで足裏全体が凍ってしまったようです。
ちょっと地面を踏みしめるだけで、凍って固まった足が柔軟性を欠いて、身体の重みで足の筋肉がひび割れそうな痛みを感じる程に。
かと言って、ただジッと立っているだけではしんどいので、小刻みに足を踏みしめながら、生まれたてのひよこがヨチヨチ歩きしている様な状態で、ひたすら耐え忍んでおりました。
そんな状態で、待っていると八日堂縁日を取材に来られていたSBC(テレビ信州)のレポーターの方に取材を受けてしまいました。
寒さと緊張で、強張る顔。
寒さ対策重視のブクブクになった自分が、お茶の間に映像として流れるなんて放送事故寸前です。
新年最初の願掛けは、「どうか取材の模様がお蔵入りになります様に・・・・。」となりました。
今回も、過酷な八日堂縁日となりましたが、長く感じた一時間が経過し、ようやく8時となり、頒布の段階になると、僕と同じ様に並んでおられた方も、「やっとこの寒さが報われる!」とホッと息を吐いて、場の空気がフワッと緩む瞬間になります。

今年も並んだ甲斐があって、絵蘇民将来符を頂く事が出来ました。

さて、6年目の八日堂縁日もこうして終えることができました。
並んでおられる方々を見ると、もう何年もこの八日堂縁日にいらしているみたいで、僕等はまだまだヒヨッ子もいい所です。
これから先、この八日堂縁日に並べるだけの健康を保っていきたいと思います。

毎年、年のはじめのブログの話題と言えば、1月8日に信濃国分寺にて頒布される蘇民将来符を頂きに行った報告が恒例となっています。
去年は6時頃に、信濃国分寺に赴き、2時間をジッと絶え続けるという苦行を自らに課してしまいました。
しかしながら、去年体感した寒さにすっかり日和ってしまいまして、今年は7時から並ぶ事に。
一時間、並ぶ時間を遅くした事で、境内は長蛇の列になっているのでは?と心配もしましたが、意外にも人の数はそれ程多くなく、逆に拍子抜けしてしまいました。

防寒対策は前年に引き続き、上から下まで考えられる服を惜しげもなく纏い、お洒落とは180°対極にある、着膨れ服達磨と化しました。
カイロも背中とお腹に5個装着し、万全の備えです!
ところが靴底に貼るカイロも前日の夜に、用意していたのですが、それを忘れてしまうと言うミステイク!
引き返す事も考えましたが、去年は靴にカイロを仕込んでも大して暖を取れた気がしなかったので、結果、面倒臭さが勝って足裏のカイロはあきらめる事にしました。(結果、これが大誤算となります。)

この日の気温は、これまで足掛け6年、八日堂縁日に並んだ中で、最も寒い温度となるマイナス10°!
いつも寒いのは覚悟の上でしたが、今まで感じていた寒さを更に上回る寒さとなりました。
何よりも、寒さが堪えたのは足です。
去年も、カイロを貼っても足の裏が寒いと感じましたが、それでもカイロを貼っていたからこそ、まだあの寒さを感じる程度で済んでいたのだ!と悟りました。
ただ立ちっぱなしだと、あまり足を動かす事もないので、まるで足裏全体が凍ってしまったようです。
ちょっと地面を踏みしめるだけで、凍って固まった足が柔軟性を欠いて、身体の重みで足の筋肉がひび割れそうな痛みを感じる程に。
かと言って、ただジッと立っているだけではしんどいので、小刻みに足を踏みしめながら、生まれたてのひよこがヨチヨチ歩きしている様な状態で、ひたすら耐え忍んでおりました。
そんな状態で、待っていると八日堂縁日を取材に来られていたSBC(テレビ信州)のレポーターの方に取材を受けてしまいました。
寒さと緊張で、強張る顔。
寒さ対策重視のブクブクになった自分が、お茶の間に映像として流れるなんて放送事故寸前です。
新年最初の願掛けは、「どうか取材の模様がお蔵入りになります様に・・・・。」となりました。
今回も、過酷な八日堂縁日となりましたが、長く感じた一時間が経過し、ようやく8時となり、頒布の段階になると、僕と同じ様に並んでおられた方も、「やっとこの寒さが報われる!」とホッと息を吐いて、場の空気がフワッと緩む瞬間になります。

今年も並んだ甲斐があって、絵蘇民将来符を頂く事が出来ました。

さて、6年目の八日堂縁日もこうして終えることができました。
並んでおられる方々を見ると、もう何年もこの八日堂縁日にいらしているみたいで、僕等はまだまだヒヨッ子もいい所です。
これから先、この八日堂縁日に並べるだけの健康を保っていきたいと思います。

天長地久 ~長野県東御市から送る鍼灸師の日常~
いよいよ講習会最終日!
いつもの様に、朝5時前から目が覚めてしまいました。
外は、これまでの中で一番肌寒く感じる朝でした。
ポツポツと少し小雨が降る中でしたが、構わず外へと走り出しました。
この日も、旧市街とは逆方向の郊外にある「Belgenmonumen(ベルゲンモニュメント)」というランドマークを目的地に据えました。

街中を抜けると、閑静な住宅街となり、この辺りにしては珍しくダラダラと登り坂が続きます。
相変わらず外を出歩く人もいなければ、家の灯りも真っ暗で、人の気配を感じる事はありません。
その内、街灯も疎らになってしまい、辺りはドンドンと暗くなって行くばかり。

霧の様な小雨によって、目指す先はモヤがかかっていきます。
鬱蒼と生い茂る木々の横道に入ると、果たして目的の「Belgenmonument」が唐突に現れました!
暗闇、霧、小雨というシチュエーションのせいで、モニュメントと言うより、ドラキュラ城が目の前に聳えていると言った雰囲気の方がしっくりきます。

折角来たので、一応モニュメントの周囲を散策する事に。
階段がある事から、上に昇る事ができるようです。
こんな暗闇でなかったら、きっといい景色が見られる事でしょう。

今度は反対側に回り込みます。
こちらにも何やらレリーフがあしらわれています。
定かではないのですが、第一次世界大戦中、ベルギー難民の受け入れた事で、ベルギー政府から寄贈されたといういきさつがあるようです。
レリーフも内容もそうしたいきさつが描かれているのでしょうか。

さらにモニュメントの背面に進んでみました。
地図によると、このままモニュメントを背にして公園を突っ切っていけば、大通りに出れるようになっているはずです。
とは言え、モニュメントから離れる程、ドンドン暗闇は濃くなっていきます。
朝のランニングでは、いつも人の往来が少なくて、何となく淋しさを感じていましたが、今この時ばかりは人が出てこない様にと祈るばかりでした。
だって、こんな時間、こんな所をうろついている人なんて、絶対怪しい奴に違いありません!!!
あっ!それって自分の事ですね・・・・・。

地図の通りならば、この先をずっと進めば大通りに行くはずです。
しかし、これでも懐中電灯で進行方向を照らしているですが、2〜3m先は真っ暗で何も見えません。
さすがにこの暗闇の中を走る気持ちにはなれませんでした。
ここは、元来た道を引き返す事にしました。
我ながらこの判断は英断だったと思います!

さて帰りの道すがら、段々と空が明るくなってきて、霧の様に降り続いていた雨も上がってきました。
お店のショーウィンドウ越しに仄かに灯る明かりや、街灯の明るさを見た時、心からホッと一息つく事ができました。

床屋さんや、マッサージのお店、インドネシア料理のお店等が軒を連ねていて、観光地と言うより、この辺に住まう方々の日常を感じるような通りで、普段着のアルメルスフォールトの一面を見れた気がして、これはこれでとても楽しい散策になりました。

こんな所にもお寿司屋さんがありました。
このお店を含めて、僕が知る限り、このアルメルスフォールトにある4軒目のお寿司屋さんと言う事になります。
お寿司屋さんの数は、よほど僕の住む地域等よりも多いみたいです。
少なくともこのアルメルスフォールトでは、お寿司と言うものが、かなり市民権を得ているようですね。


さて、講習会最終日は、僕の講義の受け持ちが残っていました。
前日まで、他の先生方がとても素晴らしい講義をなさっていたので、当日の朝はプレッシャーで緊張していたせいか、うっかり朝食の写真を撮るのも忘れてしまいました。
それでも、通訳の方の助けを借りて、何とか担当した講義を終えることができました。
始まる前は、講習会の期間が途方もなく長い様に感じておりましたが、終わってみれば3日間はあっという間でした。
会場の外へ出てみれば、それまで曇天、雨に祟られた講習期間でしたが、すっかり澄んだ秋空になっていて、講習会の無事終了を祝福してくれているようでした。

これで何の憂いもなく、この後のビールを楽しむ事ができます!
(これまでのブログの内容を見ると、とても憂いを感じていた様に見えないかも知れませんが・・・・。)
指導者講習会を含め、4日間通い詰めた会場。
濃密な時間を過ごしたせいか、すっかり愛着を感じる場所になってしまいました。

講習会を終えた足で向かった先は、朝にジョギングした通りでした。
人の往来する時間に来ると、朝とは随分と印象が違ってとても賑やかでした。

立寄ったのは、通りの一角にあるステーキ屋さんでした。
まずはカラカラになった喉を潤すべく、ビールで乾杯しました。

メニュー表が全部オランダ語で書かれていて、何となくニュアンスは分かるのですが、実際どんなものなのかは出たとこ勝負で注文してみました。
実際に運ばれてきたものを見れば、普通にステーキだったので、とりあえずホッとしつつ、とんでもないものが出てきておののく自分を想像していたので、多少拍子抜けしてしまいました。
お肉を堪能しつつ、やはりここで白いご飯が欲しいなぁ、と思う辺り、自分が日本人である事を実感する瞬間であります。

これまた、ビールが美味しくて、止りません。
緊張から解き放たれ、ブレーキをかける必要もなくなった為か、自分を中心に世界が回っていると感じる程、酔いもグルグルに回っていきました。
こうして講習会最終日の夜は更けていきました。
翌日は、一日観光にあてていて、アムステルダムを回る予定になっているのですが、果たしてちゃんと起きれるでしょうか?

いつもの様に、朝5時前から目が覚めてしまいました。
外は、これまでの中で一番肌寒く感じる朝でした。
ポツポツと少し小雨が降る中でしたが、構わず外へと走り出しました。
この日も、旧市街とは逆方向の郊外にある「Belgenmonumen(ベルゲンモニュメント)」というランドマークを目的地に据えました。

街中を抜けると、閑静な住宅街となり、この辺りにしては珍しくダラダラと登り坂が続きます。
相変わらず外を出歩く人もいなければ、家の灯りも真っ暗で、人の気配を感じる事はありません。
その内、街灯も疎らになってしまい、辺りはドンドンと暗くなって行くばかり。

霧の様な小雨によって、目指す先はモヤがかかっていきます。
鬱蒼と生い茂る木々の横道に入ると、果たして目的の「Belgenmonument」が唐突に現れました!
暗闇、霧、小雨というシチュエーションのせいで、モニュメントと言うより、ドラキュラ城が目の前に聳えていると言った雰囲気の方がしっくりきます。

折角来たので、一応モニュメントの周囲を散策する事に。
階段がある事から、上に昇る事ができるようです。
こんな暗闇でなかったら、きっといい景色が見られる事でしょう。

今度は反対側に回り込みます。
こちらにも何やらレリーフがあしらわれています。
定かではないのですが、第一次世界大戦中、ベルギー難民の受け入れた事で、ベルギー政府から寄贈されたといういきさつがあるようです。
レリーフも内容もそうしたいきさつが描かれているのでしょうか。

さらにモニュメントの背面に進んでみました。
地図によると、このままモニュメントを背にして公園を突っ切っていけば、大通りに出れるようになっているはずです。
とは言え、モニュメントから離れる程、ドンドン暗闇は濃くなっていきます。
朝のランニングでは、いつも人の往来が少なくて、何となく淋しさを感じていましたが、今この時ばかりは人が出てこない様にと祈るばかりでした。
だって、こんな時間、こんな所をうろついている人なんて、絶対怪しい奴に違いありません!!!
あっ!それって自分の事ですね・・・・・。

地図の通りならば、この先をずっと進めば大通りに行くはずです。
しかし、これでも懐中電灯で進行方向を照らしているですが、2〜3m先は真っ暗で何も見えません。
さすがにこの暗闇の中を走る気持ちにはなれませんでした。
ここは、元来た道を引き返す事にしました。
我ながらこの判断は英断だったと思います!

さて帰りの道すがら、段々と空が明るくなってきて、霧の様に降り続いていた雨も上がってきました。
お店のショーウィンドウ越しに仄かに灯る明かりや、街灯の明るさを見た時、心からホッと一息つく事ができました。

床屋さんや、マッサージのお店、インドネシア料理のお店等が軒を連ねていて、観光地と言うより、この辺に住まう方々の日常を感じるような通りで、普段着のアルメルスフォールトの一面を見れた気がして、これはこれでとても楽しい散策になりました。

こんな所にもお寿司屋さんがありました。
このお店を含めて、僕が知る限り、このアルメルスフォールトにある4軒目のお寿司屋さんと言う事になります。
お寿司屋さんの数は、よほど僕の住む地域等よりも多いみたいです。
少なくともこのアルメルスフォールトでは、お寿司と言うものが、かなり市民権を得ているようですね。


さて、講習会最終日は、僕の講義の受け持ちが残っていました。
前日まで、他の先生方がとても素晴らしい講義をなさっていたので、当日の朝はプレッシャーで緊張していたせいか、うっかり朝食の写真を撮るのも忘れてしまいました。
それでも、通訳の方の助けを借りて、何とか担当した講義を終えることができました。
始まる前は、講習会の期間が途方もなく長い様に感じておりましたが、終わってみれば3日間はあっという間でした。
会場の外へ出てみれば、それまで曇天、雨に祟られた講習期間でしたが、すっかり澄んだ秋空になっていて、講習会の無事終了を祝福してくれているようでした。

これで何の憂いもなく、この後のビールを楽しむ事ができます!
(これまでのブログの内容を見ると、とても憂いを感じていた様に見えないかも知れませんが・・・・。)
指導者講習会を含め、4日間通い詰めた会場。
濃密な時間を過ごしたせいか、すっかり愛着を感じる場所になってしまいました。

講習会を終えた足で向かった先は、朝にジョギングした通りでした。
人の往来する時間に来ると、朝とは随分と印象が違ってとても賑やかでした。

立寄ったのは、通りの一角にあるステーキ屋さんでした。
まずはカラカラになった喉を潤すべく、ビールで乾杯しました。

メニュー表が全部オランダ語で書かれていて、何となくニュアンスは分かるのですが、実際どんなものなのかは出たとこ勝負で注文してみました。
実際に運ばれてきたものを見れば、普通にステーキだったので、とりあえずホッとしつつ、とんでもないものが出てきておののく自分を想像していたので、多少拍子抜けしてしまいました。
お肉を堪能しつつ、やはりここで白いご飯が欲しいなぁ、と思う辺り、自分が日本人である事を実感する瞬間であります。

これまた、ビールが美味しくて、止りません。
緊張から解き放たれ、ブレーキをかける必要もなくなった為か、自分を中心に世界が回っていると感じる程、酔いもグルグルに回っていきました。
こうして講習会最終日の夜は更けていきました。
翌日は、一日観光にあてていて、アムステルダムを回る予定になっているのですが、果たしてちゃんと起きれるでしょうか?
