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端午の節句

2006.05.05(12:29) 94

鯉のぼり

今日は端午の節句、こどもの日ですね。
国民の祝日に関する法律に祝日法というものがありますが、その中には「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とあることから、本来は、子供だけでなく、お母さんも一緒に労う日でもあるのですね。

「端午の節句」の由来は、もともとは中国が起源で、日本には平安時代頃に伝わったとされています。
端午の「端」は「はじ/最初」を表し、「午」は干支の「うま」を指しています。
ですので、月の最初の午の日が端午の日になるわけです。
と言うことで、必ずしも5月5日が、端午の日にはなるわけではありませんが、午(ゴ)と同じゴロの五(ゴ)が重なる5月5日が端午の節句として定着するようになったと言われています。
古来、五月は「毒月」「物忌みの五月」とも呼ばれ、春から夏への変わり目に当たるこの季節は、急激に暑さが増したり、いろりろな虫が活発に活動するようになり、それによって体調を崩して病気で苦しむ人が多かったことから、それらの厄災を振り払う為の厄払いの日として、この端午の節句が取り入られるようになりました。
その為に、薬草でもあり、邪気を払うと信じられていた菖蒲を、お風呂に入れたり、お酒に浸して飲んだりするなどして、健康増進を図ったり、健康祈願をするようになったわけです。 

鯉のぼりも、川の流れに逆らって上流に向かって逞しく泳ぐ鯉の姿にあやかって、「子供が元気よく育つように」との願いが込められています。
ちなみに鯉のぼりの吹き流しの色にも木・火・土・金・水を表す五行の色が用いられていて、これは魔除けの意味合いを持っています。
小さい頃は、自分の家の鯉のぼりがはためいているのを見ると、とても誇らしく感じたのを思い出します。


天長地久 ~長野県東御市から送る鍼灸師の日常~


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大漢和辞典

2006.04.15(12:52) 88

大漢和辞典をご存じですか?
漢字に興味がある方などはピンと来るかも知れませんが、大修館書店から発売されている漢和辞典です。
大漢和辞典


親文字5万余字、熟語53万余語を収録した世界最大とも言われる漢和辞典です。
現在、修訂第2版が出ていて、全15巻という膨大な量の辞典です。
大漢和辞典


最近になって、祖父から譲り受けたのですが、書道をたしなむ祖父は常々、漢字が本来持つ意味を知らないと字を書くのでも、なかなか味がでてこないと言っていましたので、この辞典は祖父にとっては必携の書であったと思います。
祖父のみならず、この辞典が国内外問わず、多くの人の漢字研究の礎になったことは間違いなく、大漢和辞典の編纂の中心となって働いた諸橋轍次先生の功績は計り知れないものであると思います。
この大漢和辞典の完成までには四半世紀の年月を費やし、途中戦火によって原版が消失したり、諸橋轍次先生ご自身も壮絶な作業により右目を失明、残った左目の視力も衰えた過酷な状態にもかかわらず、最後まで編纂作業を続けたそうです。
それはまるで、古代中国の歴史家、司馬遷が、時の皇帝の怒りを買い宮刑(去勢)に処せられてもなお史記を書き続けたという話を彷彿とさせます。
後世に残る大偉業というのは、必ず何らかの大きな障害がつきまとうもので、それらの困難を克服し、もたらされたものには、それに関わる方々の不撓不屈の精神を感じずにはいられません。
諸橋轍次先生の偉大な業績に敬意を表しつつ、今度は、この大漢和辞典からも、この天長地久に小ネタを出していければなあと思います。

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桜~首飾り~

2006.03.27(18:14) 83

昨日たまたま外出した出先で見た桜が、もう8分ほど咲いていました。
ですので、治療院の裏手にある“せせらぎの道”沿いに植わっている桜も咲いているだろうかと気になって、お昼に抜け出して見に行ってきました。
桜


まだ満開とはいかないまでも、今週末当たりが一番の見頃になるでしょうか?
この先、天候が崩たりして、花が散らないといいのですが・・・・。
今週中はとっても空模様が気になってしまいます。

ところで、「桜」と言う漢字の旧字体は「櫻」という字になります。
今はサクラという漢字を書く時に、旧字体の字を書く方はほとんどいらっしゃらないかとは思います。(名字でこの櫻を使われる方はいらっしゃると思いますが。)
この櫻の字から木偏を取ると、「嬰」という漢字になります。
この漢字は貝の首飾りを象っています。
その昔、生まれたばかりの女の子の赤ちゃんには、おまじないとしてこういった貝の首飾りをしたとされています。
そう言った赤ちゃんのことを「嬰児(みどりご)」と言っていました。
その名残で、今でも生まれたばかりの赤ちゃんのことを嬰児と言っていますよね。

ちなみに貝が連なって首に巻かれる様から、嬰という字は取り巻くとか、グルリと囲むといった意味を持っています。
サクラの木の、あたかも花が枝を取り囲むようにして咲いている様子を、この「櫻」という漢字で表現しています。
サクラの美しさが、この「櫻」という一文字の漢字の中に絶妙に表現されていますよね~。


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一人称続き

2006.03.09(13:33) 77

前回に引き続き、もう少しこの話をしていきたいと思います。

一人称で最も一般的なものとなると、「私」になろうかと思います。
これは右の「禾(のぎへん)」と左の「ム」によって構成されている漢字です。
「禾」はアワの穂が実り、垂れ下がった様を表す象形文字です。
そして「ム」は、カタカナではなく物を丸く囲んだ様子を表しています。
ですので、「禾」「ム」が合わさると、収穫した穀物から自分の取り分を確保すると言うことになり、それが個人ひいては自分自身を指す漢字になったと言えます。
逆にこの「ム」の上に、広げるという意味を持つ「八」がつくと「公」という字になりますが、これは囲い込んだ物を広げると言うとになるので、個人に対して反対の意味を持つようになります。

「俺」という漢字に目を向けてみると、こちらは「イ(にんべん)」に「奄」という字が組み合わさって出来ています。
更に「奄」という字は、「申(のびる)」という字に、上から「大」という字で蓋をしていることになります。
意味としては、伸びようとするものに、蓋を被せて封じている状態を表しています。
ですので「俺」という一人称は、大きくなろうとするものを覆う=大きい状態と言うことで、自分を大きく言う場合(大人として)の自称として使われるようになりました。
思春期頃の男の子が、僕→俺に自称が変わる時というのは、無意識にせよ自分は大人に成長しているんだと言うことを示しているのかも知れませんね。

「僕」と言う漢字の右側のつくりをを象形文字で表すと、とっても複雑です。

20060309011556.jpg

これは、頭に入れ墨をされた奴隷が、ミノをふるっているところを表しています。
しかも、お尻からは尻尾のようなものが生えており、人というより、獣のような存在と見なされていた節があります。
この漢字から、当時の身分社会を推し量るに、こうした奴隷として扱われていた人達というのは相当過酷な生活を強いられていたのではないかなと想像できます。

漢字を見ていると、その成り立ちにあたり、時代背景や当時の人達の生活環境などが見えてくることがあります。
一人称でよく使われる漢字を見ていくと、「私」とか「俺」という漢字よりも「僕」という漢字の方が、かなり自分をへりくだった表現であったといえるかも知れません。

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一人称

2006.03.07(15:06) 76

先日、関西に住む学生時代の友達と電話で話すことがありました。
今では、なんとも思わないのですが、横浜っ子の僕には、初めて生の関西弁を耳にした時は、いくつか戸惑うこともありました。
その一つが、相手に呼びかけるときの言い回しです。

相手に声を掛ける時、名前を呼ばないのであれば、相手の人を指して「君」とか「あなた」もしくは「お前」という風に問いかけるのですが、関西に住む友達の言い回しでは、親しい間柄や目下の相手を指す時に、その相手に対して「自分」と表現することがあります。
例えば、「君、何してるの?」と言うような会話だと、「自分、何してん?」といった感じになります。

今までは、「自分」というと、例えば目上の方や先輩と話をする時に、自分自身のことをへりくだって示す時に使っていました。
当初は、この「自分」が、僕に向かって問いかけているものとは思わず、時折会話が成立しないでお互いにと言うような事もありました。
今では、僕も誰かに声を掛ける際、思わず「自分、何してるの?」なんていう風に、関西弁をミックスさせてゴチャゴチャに使っていたりします。(笑)
方言というのは、やはりその土地の人が話さないと、しっくり来ないものですね。

ちなみに、皆さんは自分自身を指す場合の一人称は、なんて仰ってますか?
僕は、多くの場合、「僕」と言っていますし、状況に応じて「私(わたし・わたくし)」なんて言うこともあります。
「俺」なんてワイルドに言ってみたいですが、言ったところで全く似合わないでしょうし・・・・。
大体、一般的な一人称としては「私」「僕」「俺」「自分の名前」「儂」「オイラ」と言ったところがポピュラーなところでしょうか?
まさか、普段から「朕」とか「拙者」もしくは「麿」なんて仰ってる方もいないと思いますが・・・!?

ちなみに平安時代の頃は、「僕」と書いて、「やつかれ」「やつがれ」などと読みますが、この字の持つ意味は、下僕や召使いの意として相手にへりくだった表現であります。当時から自分を謙遜して使うような時に見られましたが、それほど一般的なものではなかったようです。

かの吉田松陰は、その書き記した手紙に自分のことを「僕」と表記していたのは有名で、その松下村塾の門下生である高杉晋作や久坂玄瑞などもこれに習って、「僕」と使用するようになったそうです。
明治以後になって、ようやく男性が自分を指す時の一人称として「僕」を使うのが浸透するようになりました。
今でこそ当たり前に使うこの「僕」という一人称は、実は最近使われはじめたと言うことになるのですね。


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とりとめのない話
  1. 端午の節句(05/05)
  2. 大漢和辞典(04/15)
  3. 桜~首飾り~(03/27)
  4. 一人称続き(03/09)
  5. 一人称(03/07)
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