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帝王切開

2006.09.07(13:38) 117

最近の話題としては、秋篠宮妃紀子さまが男子をご出産し、どこの報道局もおめでとう!一色です。
それに伴って、よく耳にするのが「帝王切開」という言葉。
普段、あまり気にとめずに使っている言葉ではありますが、「切開」の意味は分かるとして、「帝王」というのは何のことを指しているのでしょうか?

そもそも帝王切開の元になったラテン語を"sectio caesarea"と言います。
(sectioは「切開」、caesarea は「切られたもの」という意味があります。)
この"sectio caesarea"をドイツ語にすると"Kaiser shinitt"という語句になります。
西洋医学がドイツから日本に伝わる際、この"Kaiser shinitt"も当然伝わってきたわけですが、これを日本語に訳す時に、"Kaiser"に「分離する」という意味のところを、「カイザー=帝王」と間違って訳してしまい、これがそのまま「帝王切開」の由来となったとの説が有力です。

ちなみに日本で最初に帝王切開が行われたのは、1641年(寛永18年)、肥後の国(熊本県)で、人吉藩の藩主相良頼喬が生まれる際に帝王切開が行われたされておりますが、実際のところは定かではありません。
詳細な記録が残るもので、最初に成功したケースは、1852年4月25日、伊古田純道、岡部均平という二人の医師によって秩父郡我野正丸(現在の埼玉県飯能市坂元)に在住、本橋常七の妻、み登の出産の際に帝王切開が施された例です。
難産により、母体の生命があやうくなってきたために、帝王切開に踏み切り、胎児はなくなってしまったものの、母親の方は一命を取り留め、その後89歳の天寿をまっとうしたそうです。
当時は、麻酔の技術も消毒の手段も確立しておらず、まさしく命がけの手術でありました。
この時のことを伊古田純道は「子宮截開(せっかい)術実記」という書物に記載しております。

もともと帝王切開というのは、母親が亡くなった後に、その身体から子供を取り出すと言うことから起こったもので、そこには母の死が必然とされていました。
今や、本邦における帝王切開分娩における死亡率は0.029%だそうです。
日本の産婦人科領域ではおおよそ15%の確率で、帝王切開が施されているようです。
しかし、いかに医学が進歩しようと、10ヶ月もの間、お腹の中に命を宿し、産むというのは、やはり大変なことですよね。

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皮膚のお話し~面の皮と柔肌~

2006.03.29(17:03) 84

皮膚は、感覚の受容器、体表の保護、汗などの排泄、体温の調節、呼吸作用などを担っています。
そして皮膚の表面積はおよそ約1.8平方メートル、厚さは平均1.4mm、皮膚が人体に占める重さは約16%にも達します。
そうした人体最大の器官でもある皮膚は、体の状態や内臓の状態を映し出す鏡のようなものでもあります。
東洋医学的にも、視覚を用いて皮膚の色、ツヤを見たり、触覚にて皮膚表面の状態を探ったりと、この皮膚に現れる所見というものを非常に重要視しています。
特に、治療の際は、この皮膚の状態からその人に一番あった最適なツボを導き出すという作業も必要となってくるので、この皮膚所見は何よりも欠くことの出来ない情報と言えるかも知れません。

「皮膚」という漢字は、見たとおり「皮」と「膚」が合わさって出来ています。
これを分解して、単独で「皮」と言う時は、「面の皮」とか「化けの皮」の言葉に見られるように、本来の姿を偽った時に用いる(どちらかというと負のイメージ)表現で使われています。
ここで漢字の成り立ちを見てみると、
皮

獣の皮を、フォークのような手で剥がしているところを表しています。
これから見ると、この皮は剥がされた“皮”という事になります。
面の皮も化けの皮も、両方とも剥がされる事が多いので、まさしくこの皮の漢字がピッタリと当てはまります。

対して「膚」の漢字の由来は、「盧」という漢字の下のお皿の代わりに、体を示す「月」があてがわれたものと言うことになります。
この「盧」と言う漢字の成り立ちは、
膚

とあり、これは昔の米びつのような容れ物、又は炭櫃(すびつ)と言って、火鉢のような物を表していると言われています。
米びつにせよ、火鉢にせよ、中の物を納める器であり、そうすると皮膚も体の臓器を表面から覆って、納める器と見なすことが出来ます。
ちなみに「膚」の方は、これを「フ」のと読む他に、「はだえ」とか「はだ」とも読みます。
意味としては「肌」という漢字と同じかと思われます。
柔肌(膚)、餅肌(膚)と言ったように、血の通った健康的な皮膚をイメージする言葉に多く使われています。

生理学的に言うと、皮膚というのは、表皮と真皮と皮下組織の三層構造によって形成されています。
その内、表皮の一番浅い部分は角質層といって、死んだ細胞が平たく積み重なって覆われています。
これらの角質層は、深層から新しく生み出される細胞によって押し出され、絶えず一定のサイクルで剥がれては、入れ替わっています。
昔の人は、そう言った生理現象を知っていたのかは知りませんが、剥がされた状態を表す「皮」と、血の通っている「膚」の部分をひっくるめて「皮膚」と言う語句が形成されているところに、奥深さを感じてしまいます。

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耳の日

2006.03.03(22:51) 75

今日はひな祭り、桃の節句でもあります。
それとは別に3(ミ)・3(ミ)で耳の日ということにもなっています。
ですので、今回は耳にちなんだ話をしていきたいと思います。

耳の役割は音を聞き分ける以外に、平衡感覚をも調整しています。
メニエール病と言って、突然に耳の聞こえが悪くなって、また耳鳴りを伴うような、激しい眩暈を引き起こす病気があります。
詳しい原因ははっきりとはしていませんが、これは耳を構成する部分に内耳という平衡感覚を司る箇所があって、その内耳を潤すリンパの流れが阻害されることで浮腫を生じ、結果上にあげたような症状を発現すると考えられています。

東洋医学的には、耳は腎という蔵府と重要な繋がりがあるというふうに考えています。
現代医学における腎臓とは少しニュアンスが異なり、東洋医学における腎の役割は、泌尿器・生殖器に関わること以外に、最も大切な役割として、両親から受けついだ先天の気をこの腎において貯蔵しています。
先天の気と言っても、少しピンと来ないかも知れませんが、人間の誕生に際しては、父親の精子と母親の卵子が合わさって初めて命を形成するようになります。
この時、生じた生命の灯火こそが先天の気と呼ばれるもので、人間はこの先天の気を終生担保として、後天的に食べ物を取り入れたり、呼吸をして自らの生命を維持していこうとします。
この先天の気が不足したり、それを貯蔵する腎が上手く働かないと泌尿器・生殖器に関わるトラブルに見舞われたり、また不妊症などもこの腎の弱りに大きく関係していることもあります。
そして、歳をとると耳が遠くなったりしますが、これは先天の気たる腎の力が不足することで、その関連する耳に影響が及んできていると言えるでしょう。

耳というのは、腎を根っこに例えるとその先につく葉っぱのようなもので、耳の形や大きさ、はたまた色つやなどがそのまま腎の状態を表していることになります。
先天の気を貯蔵する腎が精神的に与える影響は、気持ちの安定と、賢さであり、それは耳がつく漢字に聡明とか、「耳さとい人」と言う意の聖という字に見られることからも、腎の充実・安定した状態であれば、人の性質はこれらの漢字に符合した状態となります。
仏像や観音様等の耳を見ると、耳が一見して大きく、耳たぶが垂れ下がっているかと思いますが、これらも腎の力が満ちあふれた状態を見てとることが出来ます。
ただ面相学的には、ただ大きい耳が良いと言うことではなく、顔全体の調和が取れているかどうかも、判断の基準となります。
また先天の気が旺盛だからと言って、そう言うタイプの方は体が頑強なぶん却って、無理を重ね、この先天の気を著しく消耗しやすかったりします。

高血圧患者さんの治療の際、耳の裏側の溝の部分を高圧溝(こうあつこう)と呼ばれる箇所に、細絡と言って、糸くずのような赤い筋状の血管を認めるときなどは、ここに鍼をして、血圧を下げたりします。
また腎の働きを見るときに、耳を折り曲げたりして痛がりはしないか、もしくは耳が真っ赤な状態を認める場合、その人がのぼせている状態がないかどうかを観察したりもします。

僕の場合は、眼鏡をかける時に、この耳の存在は大変重宝しています。
耳の高さは必ずしも同じではないそうで、眼鏡を作るときはその耳の高さの違いを計算に入れて、あつらえるそうです。
実際に解剖における腎臓は左の方が右よりもやや高い位置にありますので、そう言った違いが耳にも反映しているのでしょうか?
そう思って観察してみると面白いかも知れませんね。

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春の七草

2006.01.07(10:50) 51

朝ご飯は七草がゆでした。
七草がゆ(1)


正月七日は五節句の一つで人日の日とされています。
この日に七草粥を食べて、その年の無病息災を祈念するという日でもあります。
ちなみに五節句というと他に3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句などがあります。
桃の節句や端午の節句に比べるとこの人日の節句というのはあまり耳慣れないかも知れません。
他の節句が奇数のゾロ目で覚えやすいというのもあるかも知れませんが、この人日の節句の由来は、古代の中国では正月の一日より鶏、二日には狗、三日には猪、四日には羊、五日には牛、六日には馬の順に獣畜の占いが行われ、七日目になって人の占いをすると言う習わしがあり、その日にあたる1月7日が人日の節句となったそうです。
更にその次の八日には殻の占いを行うことになっています。
この1月7日は、人間にとっての一年の運勢を占い、この日の天候も占いに大いに関係があって、晴天なら吉、雨天なら凶という風になっていたそうです。
本日の横浜の天候は真っ青な空の良いお天気です。
18年1月7日空模様


七草がゆは、今年一年が恙なく過ごせるよう、祈念して邪気を払う意味と、普段とちがってお正月ならではの豪華な料理が続き、少し緩みがちな気分を、日常生活に戻す一つの区切りとして、質素な七草がゆを頂くという意味もあります。
おせち料理で食傷気味な胃腸の状態に、ほっと一息といった所です。
七草を自分で摘んで用意するというのは、今はなかなか難しいと思います。
最近ではスーパーや八百屋さんに行くと、有難いことに七草がパックに入って売っています。
現在の七草は、
芹(せり)
薺(なずな)
御形(ごぎょう)
繁縷(はこべら)
仏の座(ほとけのざ)
菘(すずな)
蘿蔔(すずしろ)
で、漢字だとものすごく複雑な漢字になるのですね。
特に七草にこだわらずに、あり合わせの青物の野菜をお粥の具材にするのでも十分だと思います。

恥ずかしながら今まで知らなかったのですが、お粥を作る時のポイントとしては、煮ている時に、あまりお玉などでかき混ぜない方が良いのだそうです。
そうすると、一粒一粒がしっかりと立って、サラッとした食感のお粥になるんだそうです。
言われてみると、いつも自分でお粥を作ると、何だかベチャとした感じだったんですよね~。
他にも、お味噌汁を作る時も、グラグラ沸騰するぐらい煮てはいけないというのも知りませんでした。
料理って、奥が深いですね~。(と言うか、自分が知らなすぎるんですよね。)


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体内時計

2005.12.20(23:43) 44

腹時計が鳴ったなんて言うと、ご飯時を知らせる合図としてグルグル~なんてお腹が鳴った時のことを言います。
学生時代に授業中、皆が集中して静まりかえっている中でこの腹時計が鳴ってしまいとても恥ずかしい思いをしたこともあります。
腹時計の話は極端ですが、人間には誰しも地球の自転によって生み出される昼夜のリズムに合わせて、自らの中にも音頭を取る仕組みがあると言われていて、それを“体内時計”、もう少し難しい言葉で“サーガディアンリズム”と呼ばれています。

では、地球上での一日は24時間であるというのは周知の事実だと思います。
地球上に生きる我々も、その地球の公転に合わせて自ら持つ体内時計も24時間周期で生活していますが、本来、人のもつ一日の単位は25時間であると言われています。

その昔、フランスの探検家でシフレという人が長期間洞窟にこもって、昼も夜も感じない環境で生活した時の一日の行動時間を観察したところ、概ね25時間で起きたり、寝たりすることが体現されたそうです。

つまり、人間は自ら持つ体内時計によってこの一時間のズレを調節していることになるわけです。
そのズレをリセットするボタンの役割の一つに日の光があります。
この日の光を浴びることによって、体のずれた時間をまたゼロに戻して、新たな一日を迎えるという作業を毎日行っていくのです。
今この21世紀の中で生きる我々の周りには、夜でも光が溢れ、中には明るくないと眠れないということで、夜通し電気を付けた明るい中で眠る人もいます。
しかし、この闇と光のメリハリがない状態は少しづつ体内時計が狂ってきて、時間は充分寝ているはずなのにすっきりしないとか、目を覚まさないといけない時間に不意に睡魔に襲われてしまうなどと言う弊害を招くことがあります。
それは飛行機で遠い海外に行った時の時差ボケのような状態と考えるとわかりやすいかも知れません。

東洋医学の養生の基本に、陰陽の変化に調和する生活を送らなくてはならないとあり、これは暗に生活リズムが乱れることによって、体の不健康を招いてしまうのだと説いています。
小さい頃、親に早寝早起きをしなさいと口酸っぱく言われたものです。
兎角この早寝早起きというのは乱れやすいのですが、なぜだか腹時計の方は正確に時を刻んでいるような気がします。

天長地久 ~長野県東御市から送る鍼灸師の日常~


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  1. 帝王切開(09/07)
  2. 皮膚のお話し~面の皮と柔肌~(03/29)
  3. 耳の日(03/03)
  4. 春の七草(01/07)
  5. 体内時計(12/20)