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2005'10.27 (Thu)

カレンダー

今日の朝は肌寒かったですね。
あっという間に10月も終わり間近で、いよいよカレンダーの枚数も残り少なくなってきました。

今日、横浜の有隣堂に行くと、もう来年のカレンダーの販売をしていました。
恵樹堂ではいつも“月と波のカレンダー”というのを使っています。
c.jpg


月の満ち欠け、潮の満ち引き、旧暦や二十四節気、各行事などがふんだんに盛り込まれ、それでいて見やすいので気に入っています。
毎年ギリギリになってあわてて買いに行くのですが、今年は余裕をもって買ってきました。
来るべき2006年に向けてささやかな準備と言った所でしょうか?

ちなみに今日は“十方暮れ入り”だそうです。
暦を気にされる方にとっては、今日から10日間は新しいことや何か大きな仕事をしようとすると上手くいかないと言うことで、身の回りのことを自重される方もいるかも知れませんね。
十方とは天地と東、西、南、北、東南、南西、西北、北東の八方向のことで、それが暮れる、つまり闇になると言うことで、四方八方がふさがれてしまった状態にあると言うことです。
暦というのは十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)を組み合わせからなっていて、それらを順番に組み合わせていくと丁度60で一回りする事になります。
還暦(60歳)というとこの組み合わせが一回りして、また最初から始まる節目になるわけです。
その組み合わせの中で、相性の悪い組み合わせがこの十方暮れの10日間に集中していることが、万事が上手くいかないという風に解釈されるようになりました。

ちなみに読書週間でもあるそうです。
読みたい本が増える一方で、ドンドン溜まっている状況ですので、秋の夜長を利用して一気に読み進めようかなと思っています。
くれぐれも夜更かししないように気を付けないと・・・・。
また面白い本などはこの場で紹介したいなあと思っています。

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2005'10.21 (Fri)

干支のお話し

東洋医学を勉強するようになって、ヘエ〜ッと感心したことがあります。
東洋思想というのは、我々を取り巻く環境・自然を大宇宙に見立て、人間はその自然の縮図である小宇宙という概念で捉えられています。
季節が春夏秋冬と移りゆくように、人間の一生も誕生→幼年期→青年期→壮年期→老年期と順番にめぐっていきます。
四季というのは、規則正しくっていて、それが春から冬になったり、冬から夏になる事はありません。

こういった規則性というのが、干支の中にに盛り込まれているのです。
我々にとっても馴染みの深い干支ですが、実はこれが植物の発生から枯れるまでを表現していると言うことをご存じでしたか?
干支は子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥という順番ですが、
子は孳る「ふえる」となり、新しい命が種より芽生えようとしている様を表しています。
丑は紐で、種の中で芽が伸びようとしている。
寅は虫偏に寅でうごめく。新しく芽が出てこんとする状態。
卯は茂る。草木が覆い茂ってくる状態。
辰は振う。まさにドンドンと成長してくる状態。
巳は巳む(やむ)で成長が最大限になってしまった状態。
午は忤らう(さからう)で、延びきってしまった状態から少しづつ枯れていく方向に傾いてきた状態。
未は味わうで、実が成熟した状態。
申は呻く(うめく)で、植物が徐々に枯れて、固まっていこうとしている状態。
酉は糸偏に酉で(ちぢむ)となり、枯れてドンドンと縮んでしまった状態。
戌は滅ぶで完全に枯れてしまい、その植物の一生が終わってしまった状態。
亥は門構えに亥で(とじる)となり、種子に次の生命が宿っている状態となります。

普段は意識していませんが、我々は至る所でこういった東洋思想の自然観の中で生活しています。
この事を習った時は冒頭のようにヘエ〜と感心してしましました。
ちなみに甲乙丙丁から始まる十干も同じく植物の一生を象ったものだそうです。
古代の人は、今よりももっと身近であった自然を観察し続け、自ずと自然界の法則を見いだすこととなり、さらにその法則を自らの生命観に置き換えたり、またさらに医学、農業、産業、占いなどと言った分野にもドンドンと応用していったんですね。
こういった思想が発達した背景には、我々の住むアジア地域が四季に恵まれ、多くの恵みを自然界からもたらされた環境であったからこそ、人間と自然とを同化させて考えられたのかも知れませんね。
23:15  |  東洋医学  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005'10.19 (Wed)

ドラゴンウィング

昨日、いつもお世話になっている塩川花風園さんに立ち寄って、お花の注文をお願いしてきました。
その時に頂いてきました。
ドラゴンウィング

ベゴニアで“ドラゴンウィング”と言うんだそうです。
なかなか格好いい名前ですね。
葉っぱの形が竜の羽に似ている所からついたんだそうです。
話によると、余り強い日差しに向かないらしく、そのうちに室内にでも入れておこうかと思っています。

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2005'10.15 (Sat)

江ノ島に行ってきました。(3)

さて、杉山検校の墓の近くに福石と呼ばれる石があります。

福石

この福石も実は杉山検校とかなり縁の深いもので、この福石にまつわる出来事があったからこそ、生涯にわたって杉山検校が江ノ島に足繁く訪れるようになったと言えるかも知れません。

杉山検校は幼い時に失明し、やがて鍼灸の道に進むこととなりましたが、元来不器用で物覚えの悪い質だったらしく、弟子入りしたものの破門にされてしまったそうです。
そこで、何とかして鍼灸の道を究めたいと思い立ち、江ノ島の弁財天にお参りをし、7日間、岩窟こもって、祈願したそうです。
山を下りる時は、ただでさえ目が見えない上に、一週間にわたる断食で足下は覚束ないくらいフラフラだったことと思います。
そんな状態であった為か、途中大きな石に躓いて転んでしまったそうです。
転んだ拍子に、チクリと体に何かが刺さったような気がしたので、取り上げてみるとそれが竹の筒に入った松の葉でありました。
その事からヒントを得た杉山検校は、鍼を管に入れて、管の先に出た鍼の柄を指で叩くことによって、容易に刺入が可能になった杉山管鍼術を考案するに至りました。
それは現在では、管鍼法と呼ばれ、今や日本だけでなく、多くの国でこの刺し方がされるようになっています。
この時を境に、杉山和一の巷での評判は鰻登りとなり、果ては時の将軍徳川綱吉の侍医にまで上り詰めるようになったのです。

転んでもただでは起きないという言葉がありますが、人間何か事を為そうと思いを強くする時、ひょんな事から大きなヒントを得ることがあります。
この時も、杉山検校が鍼の技術向上を一心に考えていたからこそ、チクリと刺した松葉を鍼の刺し方に結びつけられたに違いありません。
普通は、転んだ時に、何か身体に刺さったとしたら、“踏んだり蹴ったりで全くついていないなあ”で終わってしまうことでしょう。”
東洋医学には“気為血帥〜気は血の帥たり〜”という考え方があります。
気というのは陽であり、動力となるもので、逆に血は陰であり物質や形を表す概念であります。
我々が仕事をする時、何かを作る時、もしくは達成される時と言うのは、まずそれをしよう!、そうなりたい!という思い(気の力)を働かせる事で初めて、何か事が発展する、形が形成される(陰が形作られる)わけです。
それがいわゆる気が動くことで血が動くという考えに発展するわけです。
世の中には偶然と思われるようなことから大発見があったりしますが、それらのいくつかにはこの杉山検校と同じように、一途な強い思いが根底にあったからこそ、必然的それらが見いだされたと言うことも多いかと思います。
その道のプロというのは、職場を離れた日常生活の中でも、あらゆる所で自分の仕事に結びつけて考えてしまうと言います。
道を究める人というのは、そういったプロ意識が自然と芽生えてくるのではないでしょうか。
この福石を見ながらそんなことを考えていました。

いつしかこの福石は出世石と呼ばれ、石の前で何か物を拾うと栄達できると言われるようになりました。
この日も何か落ちていないかよく探しましたが、全く何も見つけることが出来ませんでした・・・・・。
ちなみに僕の鍼灸の先輩に、鍼が上手くなりたくて、わざわざこの石の前で転んだという方もいましたが、膝をしたたかに打ってアザになったそうです。(その後、鍼が上手くなったかどうかは分かりませんが・・・汗)

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2005'10.13 (Thu)

江ノ島に行ってきました(2)

さて、朱の鳥居をくぐった先に見えるのが、瑞心門です。
江ノ島を訪れる方は、まずはこの階段を上って、その先にある江島神社の辺津宮(へつのみや)に行かれるのではないでしょうか?
もしくは階段ではなく、エスカーを利用して上に行かれる方いらっしゃると思います。
実際、江ノ島は参道からずっと登りっぱなしになるので、こういったものを効果的に利用すると後々の体力温存に繋がると思います。
僕などは、江ノ島の全体像をよく知らずに、最初の勢いに任せて最後まで歩き通したのですが、一番奥の洞窟のある所まで行くとなると、結構な距離を歩くことになります。
引き返す際、最初に歩いてきた道のりを戻らなくてはならないと考えた時に、ドッと疲労感がこみ上げてきました。
かつて陸上競技でならした健脚は何処へ行ってしまったのでしょう?
それはさておき、この朱の鳥居の袂、右側に目をやりますと、そちら側にも道が続いています。
実は、杉山検校の墓があるのはこちら側の道なんです。
2回目に訪れた時に、どうしてもお墓の所在が突きとめられなかったのもこれで頷けます。
まさか、こちらの方向にあるとは思いもよりませんでした。
江島神社の辺津宮、中津宮、奥津宮と順次参拝する道が表参道であり、朱の鳥居を正面にして右側にのびる道を裏参道、もしくは東参道、下道とも呼ばれ、表参道も裏参道も最終的には江ノ島の中心部に位置する中村屋羊羹店の所で再び合流しています。
表参道を行くとひたすら山を登る事となりますが、この裏参道を行くと山をグルッと回避して、なだらかな上り下りの道になるので江ノ島の奧に抜ける際には、こちらの道を使った方が楽かも知れません。(その代わり江島神社の参拝ルートからは外れてしまいますが・・・・)
さて、裏参道を分け入るとすぐ、杉山検校の墓を紹介する石碑を見ることが出来ます。
墓


その石碑の所から、さらに小道を下っていくと、そこに杉山検校のお墓を見ることが出来ます。
墓標

ようやく、この場所に来ることが出来ました。
生前中も江ノ島に幾度となく参拝を続け、こよなく江ノ島を愛した杉山和一検校は、今はその江ノ島の地で、周囲の喧噪から離れた所で静かに眠っていらっしゃいます。
合掌。

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20:40  |  日記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005'10.12 (Wed)

江ノ島に行ってきました

日曜日、ふと思い立って江ノ島まで行って参りました。
写真は江ノ島神社の入り口にあたる朱の鳥居です。
江ノ島神社

この日を含めて3回江ノ島を訪れる事となりましたが、ズバリ今回の目的は杉山検校のお墓参りとその縁の場所に行くことです。
以前このブログにも紹介させて頂きましたが、杉山検校という方は江戸時代に活躍した盲目の鍼灸師で、かの徳川綱吉の病を治療して絶大な恩寵を得たばかりか、自ら鍼灸学校を開設し、江戸時代における鍼灸治療の礎を築いた偉大な人物であります。
この杉山検校の一大転機となった江ノ島の地に、その人の骨が分骨されている墓があると聞いたのは僕がまだ学生時代のことでした。
最初に訪れた時は、まだ鍼灸の道を志していない時で、当然杉山検校の縁の地だとはつゆ知らず、ただただ無目的に島を散策するだけに・・・・。
そして2回目に訪れた時は、学校の授業で、杉山検校がこの地で管鍼法(日本独自の鍼の刺し方で、管に鍼を入れて、鍼を刺すというやり方。今では鍼灸治療がされている各国で広くこのやり方が受け入れられています。)を編み出すこととなった地だと教わり、早速訪れてみたものの、それらにまつわる所が何処であったか分からず・・・・。
だから今日こそはどうしてもその場所に行きたい!、お墓参りをしたい!という思いで、三度の訪問をすることとなりました。

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2005'10.08 (Sat)

今日は骨と関節の日だそうです。

10月8日を漢数字で表すと十と八。
これを合体させるとカタカナのホになって、これが「ホネ」に通じているそうです。

脱線ですが、お寿司屋さんに行くと、ご飯のことをシャリって言いますが、このシャリというのは日本語ではなくサンクリット語から由来しているそうです。
これはご飯粒が、仏陀の焼いた遺骨「舎利」に似ているからだそうです。
その昔レストランでバイトをしていた時に、シェフからこんな話を聞かされたことを思い出しました。

その時は何とも思いませんでしたが、今になって改めて考えますと仏陀の遺骨を食べるわけですから、お寿司がとても畏れ多い食べ物に感じてしまいますね。
01:42  |  日記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005'10.06 (Thu)

大発見!!!!

中国寧夏回族自治区の大麦地地区で、中国最古の絵文字が発見されたと中国各紙が6日、報じた。漢字の起源とされる甲骨文字を更にさかのぼり、漢字の歴史を塗り替える可能性も出てきた。
 同地区の岩壁には、図案化された太陽や月、狩猟や放牧、踊りや祭祀(さいし)など3172組、約8400点の壁画が描かれており、最古のものは旧石器時代後期の1万8000年から1万年前のものとみられる。これらのうち、絵文字は約1500点に上る。
 発見された絵文字は中国原始文字の基本的な形である象形形態をなしている。中国の古代王朝・殷(紀元前16〜同11世紀)の時代に王室の占いの結果などを記すのに使われた甲骨文字とも似ている。二つ以上の象形を組み合わせた複合体によって意味を伝える文字の基本的特徴を備えており、岩壁に描かれている。
 絵文字約1500点のうち、読み取れたのはごく一部だけという。


久々に興奮しました!
今まで最古の漢字と考えられていたのは紀元前1300年頃から前1000年の間で、殷という国が存在していた頃に使われていた甲骨文字であったとされていました。
甲骨文字は名前の通り、亀の甲羅や動物の骨に刻まれていた文字で、様々な占いをする為、文字が利用されていたといいます。
今回の発見は、それより遙かさかのぼって1万8000年から1万年前と言っていますから、間違いなく漢字研究における今世紀最大の発見と言えるのではないでしょうか。
これから、これらの文字がどのようなものであるか、発表が待ち遠しい所です。

ちなみに殷という王朝の存在も最近までは伝説とされていました。
それというのも、この殷の王朝を記録している書物が漢の時代の歴史家「司馬遷(しばせん)」によって編纂された「史記」という本を除いて存在しなかった為、その信憑性が疑われていました。
司馬遷は、中国各地に伝わる伝承を自らその地を訪れるなどして、自らの耳で伝え聞き、彼の一生をかけてまとめ上げたとされています。
史記は古代中国の歴史を研究する上で、最も貴重な歴史書であり、司馬遷の業績は計り知れないものであります。
イメージとしては、現代に生きる我々が、室町時代から今に至るまでの出来事を日本各地の伝説・伝承を聞きながら、その一つ一つをつぶさに記録・整理していき、一つの歴史書としてまとめた本が「史記」であるという風に考えれば分かりやすいでしょうか?
そんな伝説の王朝、殷が発見されたのも非常に偶然であったとされています。
たまたま漢方薬の原料として使われていた骨に、文字が刻まれていたのを偶然発見した学者が、その骨の出所を探した所、その場所が昔から殷虚と呼ばれ、史記で記載されている殷の所在と一致したという所から、殷王朝の存在が証明されたのでした。
今の中国においては、河南省安陽県の小屯村という所であります。

歴史や当時の思想・風習というのは、どうしても過去に埋もれてしまうものです。
それを後世に伝えていくというのはとても大変なことであったと思うのです。
しかし、人間は必然的に文字を発明し、文字を利用することで後世に自らの存在をはっきりと知らしめることが出来るようになったわけです。
今から一万年以上昔の人が、そうした文字を駆使してどのように自分たちの生活の息吹を表現していたのでしょうか?
これは、とてつもなく壮大なロマンですね〜。
22:32  |  ニュース  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005'10.05 (Wed)

お灸のお話し

お灸というと、当然もぐさが必要となるわけですが、このもぐさの原料がヨモギであることを知らない方も結構いらっしゃるようです。
ヨモギというとお団子なんかに練り込んだり、普段何気なく道ばたで目を留める雑草の中の一つと言った感じで、我々にとってはとても身近な草なのではないでしょうか?

もぐさはこうしたヨモギが、大変な手間と労力をかけて作られたものなんです。
単純にヨモギから出来ていると言っても、ヨモギの葉っぱの表面には毛茸(もうじょう)と言って、白い毛のようなものが細かく生えているのですが、もぐさはこの毛茸でも、主に葉っぱの裏側に生えているもので作られています。
このような毛茸は若い葉っぱに多く生えていますので、成長しすぎない内の、初夏の頃には刈り取りをして、冬になるまでずっと日陰干しをして乾燥させておきます。
日陰干しされたヨモギは、薪や木炭などを燃やした火力を利用して、水分が限りなくなくなるまでより一層乾燥させます。
この時、ガスを利用した火力では、ガスそのものに水分が含まれていて、完全にヨモギを乾燥するのには適さないそうです。
そうして乾燥したもぐさは細かく切り刻まれて、石臼で磨り潰され、葉肉や茎の部分と毛茸とを分離させていきます。
次にふるいにかけ、さらに唐箕と言って風の力を利用して、不純物を取り除き、純度の高い毛茸によるもぐさに精製していきます。
この行程の中で、石臼で挽く作業やふるいにかける作業を入念に行うほど極上のもぐさに仕上がります。
純度の高いもぐさとなると、ヨモギの原料に対して、だいたい2%程度のもぐさしか取り出すことが出来ないそうです。
極上のもぐさですえるお灸は、もぐさのキメが細かいので中に空気が入ることがなく、熱くなりすぎずにマイルドな熱さのお灸をすえることが出来ます。
また臭いや煙もそれほどきつくなることはありません。
そうした極上のもぐさは、もぐさ自体が金色に輝くような色をしています。
対して、ヨモギの成分に近い、毛茸の純度が低いもぐさになると、その色は緑色に近く、お灸をした時の臭いや煙も強くなってきます。
不純物が多く混じっているので、中に空気が混じりやすく、燃焼温度も極上もぐさのそれに比べると熱くなりやすいのが特徴です。
我々がお灸をすえる時には、こうしたもぐさの質の違いも考えて、適宜すえる場所、状況に応じて使用するもぐさを変えています。
極上のもぐさは米粒より小さなお灸をする時などは、非常に揉みやすく、触り心地も良いので、恵樹堂でも欠かせないもぐさであります。
最近では、こうしたもぐさを作られる方が少なくなったり、原料のもぐさが不足するなどもあって、極上のもぐさは非常に貴重なものになっています。
たまに道ばたで、ふとヨモギを見かけた時などは、「この量でお灸が一回分くらいかな・・・」というように、つい思ってしまいます。
もぐさにしても鍼にしても、我々の手元にくるまでには多くの方の手を介すことで、初めて扱うことが出来るわけですよね。
道具は心を込めて大切に扱わないといけませんね。
02:47  |  お灸のお話し  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005'10.03 (Mon)

日曜日は・・・

10月本部例会

僕がお世話になっております学会の定例会がありました。
会場は東京なのですが、遠く北海道から九州まで、沢山の方が毎月この学会にいらして、毎月臨床研究を重ねています。
年齢の幅も広くて、20代前半の方から、80代の方もいらしたりと、年齢の垣根を超えて様々な世代の方との交流があります。
ふと、これだけの多くの人達が皆、それぞれに鍼を持ち歩いている訳ですので、今日この場所は恐らく世界で一番、鍼が集中している場所なのではと考えると、感慨深い気持ちになります。

00:21  |  東洋医学  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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