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2006'03.31 (Fri)

春らしく

ちょっと和のテイストがいいなと思いましたので、壁に掛けてみました。
壁掛け

「織部」さんという美濃焼のお店で購入しました。
以前、知人にここの食器を頂いたことがありまして、その食器がとてもお洒落な品だったので、今でもお気に入りで使わせて貰っています。
01:06  |  日記  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.29 (Wed)

皮膚のお話し〜面の皮と柔肌〜

皮膚は、感覚の受容器、体表の保護、汗などの排泄、体温の調節、呼吸作用などを担っています。
そして皮膚の表面積はおよそ約1.8平方メートル、厚さは平均1.4mm、皮膚が人体に占める重さは約16%にも達します。
そうした人体最大の器官でもある皮膚は、体の状態や内臓の状態を映し出す鏡のようなものでもあります。
東洋医学的にも、視覚を用いて皮膚の色、ツヤを見たり、触覚にて皮膚表面の状態を探ったりと、この皮膚に現れる所見というものを非常に重要視しています。
特に、治療の際は、この皮膚の状態からその人に一番あった最適なツボを導き出すという作業も必要となってくるので、この皮膚所見は何よりも欠くことの出来ない情報と言えるかも知れません。

「皮膚」という漢字は、見たとおり「皮」と「膚」が合わさって出来ています。
これを分解して、単独で「皮」と言う時は、「面の皮」とか「化けの皮」の言葉に見られるように、本来の姿を偽った時に用いる(どちらかというと負のイメージ)表現で使われています。
ここで漢字の成り立ちを見てみると、
皮

獣の皮を、フォークのような手で剥がしているところを表しています。
これから見ると、この皮は剥がされた“皮”という事になります。
面の皮も化けの皮も、両方とも剥がされる事が多いので、まさしくこの皮の漢字がピッタリと当てはまります。

対して「膚」の漢字の由来は、「盧」という漢字の下のお皿の代わりに、体を示す「月」があてがわれたものと言うことになります。
この「盧」と言う漢字の成り立ちは、
膚

とあり、これは昔の米びつのような容れ物、又は炭櫃(すびつ)と言って、火鉢のような物を表していると言われています。
米びつにせよ、火鉢にせよ、中の物を納める器であり、そうすると皮膚も体の臓器を表面から覆って、納める器と見なすことが出来ます。
ちなみに「膚」の方は、これを「フ」のと読む他に、「はだえ」とか「はだ」とも読みます。
意味としては「肌」という漢字と同じかと思われます。
柔肌(膚)、餅肌(膚)と言ったように、血の通った健康的な皮膚をイメージする言葉に多く使われています。

生理学的に言うと、皮膚というのは、表皮と真皮と皮下組織の三層構造によって形成されています。
その内、表皮の一番浅い部分は角質層といって、死んだ細胞が平たく積み重なって覆われています。
これらの角質層は、深層から新しく生み出される細胞によって押し出され、絶えず一定のサイクルで剥がれては、入れ替わっています。
昔の人は、そう言った生理現象を知っていたのかは知りませんが、剥がされた状態を表す「皮」と、血の通っている「膚」の部分をひっくるめて「皮膚」と言う語句が形成されているところに、奥深さを感じてしまいます。
17:03  |  からだ  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.27 (Mon)

桜〜首飾り〜

昨日たまたま外出した出先で見た桜が、もう8分ほど咲いていました。
ですので、治療院の裏手にある“せせらぎの道”沿いに植わっている桜も咲いているだろうかと気になって、お昼に抜け出して見に行ってきました。
桜


まだ満開とはいかないまでも、今週末当たりが一番の見頃になるでしょうか?
この先、天候が崩たりして、花が散らないといいのですが・・・・。
今週中はとっても空模様が気になってしまいます。

ところで、「桜」と言う漢字の旧字体は「櫻」という字になります。
今はサクラという漢字を書く時に、旧字体の字を書く方はほとんどいらっしゃらないかとは思います。(名字でこの櫻を使われる方はいらっしゃると思いますが。)
この櫻の字から木偏を取ると、「嬰」という漢字になります。
この漢字は貝の首飾りを象っています。
その昔、生まれたばかりの女の子の赤ちゃんには、おまじないとしてこういった貝の首飾りをしたとされています。
そう言った赤ちゃんのことを「嬰児(みどりご)」と言っていました。
その名残で、今でも生まれたばかりの赤ちゃんのことを嬰児と言っていますよね。

ちなみに貝が連なって首に巻かれる様から、嬰という字は取り巻くとか、グルリと囲むといった意味を持っています。
サクラの木の、あたかも花が枝を取り囲むようにして咲いている様子を、この「櫻」という漢字で表現しています。
サクラの美しさが、この「櫻」という一文字の漢字の中に絶妙に表現されていますよね〜。
18:14  |  とりとめのない話  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.25 (Sat)

ツボのお話し〜虫が這うような痒み〜

しばらくツボのお話しが空いてしまいましたが、久しぶりに今日は話題にしてみたいと思います。

先日、海外の方がいらして講習会が大盛況の内に終わり、まだその余波のようなものが抜けない気がしてしまいます。
あちらの方は、日本語が堪能な方はまだまだ少なくて、こちらとのコミュニケーションも専ら通訳の方を介しながら、片言の単語を駆使してと言うような状態でした。
東洋医学は、漢字で表記される事柄が多くて、海外の方が勉強するには相当大変なことと思います。
とくに、ツボの名前を覚えるのも大変な作業であるかと思います。(日本人の僕らでさえ全部覚えるのには相当苦労しました。
そうした中、合理的に学習する為の手段として、ツボを番号で表したりします。
例えば、太陰肺経にある太淵というツボであれば、肺経は英語でLung Meridian、太淵は肺経の中の9番目にあるツボなので、L9=太淵となります。
今や東洋医学が欧米を中心にして、注目されているので、もっとグローバルな医術として、より多くの地域で受け入れやすくする上で、こうしたツボを番号表記にするのも必要かも知れません。
しかし、このツボ番号表記によって、ツボが本来持つ意味を失ってしまってはいけないと思うのです。
ツボの名前には、その名前にツボの位置だとか、ツボの持つ効果、生理・解剖などが意図されて命名されています。

足の厥陰肝経に蠡溝(れいこう)穴というツボがあります。
蠡溝の蠡の字は、虫が木の中にあって木を喰っている様を表す漢字です。
そして、溝は丁度このツボの位置するところが小さな溝(窪み)の様になっています。
足の厥陰肝経の流れは、足の親指から始まって下肢の内側を上っていき、そして下腹部では生殖器をめぐっています。
この生殖器(デリケートゾーン)に痒みがでる時、あたかもそれは木の中で虫がムズムズと這うような痒みをきたすものであります。
その時に、この蠡溝穴に著明な反応が出たり、更にそう言った症状の治療の際に用いたりするのです。
つまりツボの名前を見るだけで、そこに診察点、治療点としての示唆が込められています。
臨床の際、こうしたツボの名前の由来に従って、診断・治療をしてみると、いつも古代の人の観察眼と知恵に恐れ入ってしまいます。
これを番号表記にすると、肝経はLiver Meridian、蠡溝は肝経の5番目にあるツボなのでLiv5となります。
ただのLiv5では、このツボの持つ特性などを伺うことも出来ず、それこそただの位置のみを表す記号となってしまいます。
やはり、ツボの名前に込められた先人達のメッセージを、合理的にツボの位置を覚える為とは言え、無駄にしてはいけないのではないかなあと思ってしまいます。
23:38  |  ツボのお話し  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.24 (Fri)

第2回海外支部合同特別講習会

4日間にもわたる講習会の最終日、初日から夜遅くまで話したり、はたまた連日連夜飲み続ける人もいたりして、この頃になると相当お疲れな事・・・と思いきや、その辺りはさすがと言いますか、皆さん初日と変わらずとってもエネルギッシュでした。
IMG_1305.jpg



閉会に際しては、皆さんスタンディングオベーションで、この4日間の講習会をお互いに讃え合いました。
IMG_1387.jpg

(海外の方がされるととても様になります。)

この段になるといつも、やはり語学は大切だなあと切実に感じてしまいます。
ただこうして鍼灸を通じて、海外の方との輪が広がっていくというのは凄いことだなあと感動してしまいました。
01:54  |  東洋はり医学会  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.20 (Mon)

海外指導者研修会

19日の日曜日から、4日間、海外にある11の支部から会員が集いホテルパシフィックにて研修会が行われています。
海外から来られる会員の方の熱意と底抜けの明るさには、いつも感服してしまいます。

昨日は講習会の後、ホテルの宴会場での懇親会で大盛り上がりでした。
海外指導者研修会


皆さんで、替え歌を作って合唱されたりするなど、こういうノリはなかなか日本人には出来なかったりするんですよね。(特に僕ははにかみ屋さんなので・・・笑)
海外指導者研修会懇親会


もうあと何日かすると、桜の花も咲き出す頃ですので、会員の方の中には、しばらく日本に滞在されてお花見をされる方もいらっしゃるかも知れませんね。

僕は22日にスタッフとして、携わることになりますので、その日は休診とさせて頂きます。
10:27  |  東洋はり医学会  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.16 (Thu)

オカメサクラ

治療院の裏手にせせらぎの道と呼ばれる遊歩道があります。
たまに、僕の散歩やランニングコースにもなるのですが、沿道沿いには様々な草木が植えられていて、四季を通じてとても楽しめるお気に入りの道です。
今日の昼に用事で外に出た帰り、このせせらぎの道を歩いていると、眼に鮮やかなピンクが!
オカメザクラ

残念ながら、今日の日中は曇り空でしたが、天気の良い日はより一層このピンクが引き立って、もっと綺麗に映えるのではないでしょうか?
この桜は、オカメザクラという品種だそうです。
花が下向きに咲くので、下から見上げると、まるで今にも降り注ぐかの様にピンクが鮮やかに見えます。
オカメザクラ3


オカメザクラは阿亀桜と書くそうで、寒緋桜(カンヒザクラ)と豆桜(マメザクラ)を交配させて出来たそうです。
原産国はイギリスだそうです。
桜と言っても色々種類があるものですね。

皆さんは、お花見されますか?
とある外国では、飲食店や酒場以外での飲酒が禁じられている地域もあるそうなので、当然、外で桜を見ながら宴会なんてもっての外らしいです。
純粋に花を楽しむには良いかも知れませんが、花も団子も好きな僕はそれだとちょっと寂しい気がしてしまいます。(笑)
23:50  |  日記  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.11 (Sat)

小梅

僕は買い物に行くと、よく飴を買います。
というのも、恵樹堂の待合室には、患者さん用に飴を置いているからです。
飴


皆さんは小梅という飴をご存じですか?
僕の祖母がこの小梅という飴が大好きで、よく家に買い置きしてありました。
小さい頃には、何かと言うとこの飴を貰った覚えがあります。
懐かしくて、思わず買ってしまいました。

いざ開けて見ると、名前の通り小さいあめ玉の袋に、とてつもなく大きいものが2つも混じっていました。
小梅

最初開けた時に、異様な大きさの飴が手に触れたので、かなりビックリしました!
皆さんはご存じでしたか?
最近は、こんな大きいのも入れてくれるようになったんですね〜。
それとも昔からあったとしたら、大きい飴は祖母が先に食べちゃっていたのでしょうか?(笑)
さすがにこれだけ大きいと目立つようで、置いてすぐ、早速一個無くなっていました。

12:04  |  日記  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.09 (Thu)

一人称続き

前回に引き続き、もう少しこの話をしていきたいと思います。

一人称で最も一般的なものとなると、「私」になろうかと思います。
これは右の「禾(のぎへん)」と左の「ム」によって構成されている漢字です。
「禾」はアワの穂が実り、垂れ下がった様を表す象形文字です。
そして「ム」は、カタカナではなく物を丸く囲んだ様子を表しています。
ですので、「禾」「ム」が合わさると、収穫した穀物から自分の取り分を確保すると言うことになり、それが個人ひいては自分自身を指す漢字になったと言えます。
逆にこの「ム」の上に、広げるという意味を持つ「八」がつくと「公」という字になりますが、これは囲い込んだ物を広げると言うとになるので、個人に対して反対の意味を持つようになります。

「俺」という漢字に目を向けてみると、こちらは「イ(にんべん)」に「奄」という字が組み合わさって出来ています。
更に「奄」という字は、「申(のびる)」という字に、上から「大」という字で蓋をしていることになります。
意味としては、伸びようとするものに、蓋を被せて封じている状態を表しています。
ですので「俺」という一人称は、大きくなろうとするものを覆う=大きい状態と言うことで、自分を大きく言う場合(大人として)の自称として使われるようになりました。
思春期頃の男の子が、僕→俺に自称が変わる時というのは、無意識にせよ自分は大人に成長しているんだと言うことを示しているのかも知れませんね。

「僕」と言う漢字の右側のつくりをを象形文字で表すと、とっても複雑です。

20060309011556.jpg

これは、頭に入れ墨をされた奴隷が、ミノをふるっているところを表しています。
しかも、お尻からは尻尾のようなものが生えており、人というより、獣のような存在と見なされていた節があります。
この漢字から、当時の身分社会を推し量るに、こうした奴隷として扱われていた人達というのは相当過酷な生活を強いられていたのではないかなと想像できます。

漢字を見ていると、その成り立ちにあたり、時代背景や当時の人達の生活環境などが見えてくることがあります。
一人称でよく使われる漢字を見ていくと、「私」とか「俺」という漢字よりも「僕」という漢字の方が、かなり自分をへりくだった表現であったといえるかも知れません。
13:33  |  とりとめのない話  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.07 (Tue)

一人称

先日、関西に住む学生時代の友達と電話で話すことがありました。
今では、なんとも思わないのですが、横浜っ子の僕には、初めて生の関西弁を耳にした時は、いくつか戸惑うこともありました。
その一つが、相手に呼びかけるときの言い回しです。

相手に声を掛ける時、名前を呼ばないのであれば、相手の人を指して「君」とか「あなた」もしくは「お前」という風に問いかけるのですが、関西に住む友達の言い回しでは、親しい間柄や目下の相手を指す時に、その相手に対して「自分」と表現することがあります。
例えば、「君、何してるの?」と言うような会話だと、「自分、何してん?」といった感じになります。

今までは、「自分」というと、例えば目上の方や先輩と話をする時に、自分自身のことをへりくだって示す時に使っていました。
当初は、この「自分」が、僕に向かって問いかけているものとは思わず、時折会話が成立しないでお互いにと言うような事もありました。
今では、僕も誰かに声を掛ける際、思わず「自分、何してるの?」なんていう風に、関西弁をミックスさせてゴチャゴチャに使っていたりします。(笑)
方言というのは、やはりその土地の人が話さないと、しっくり来ないものですね。

ちなみに、皆さんは自分自身を指す場合の一人称は、なんて仰ってますか?
僕は、多くの場合、「僕」と言っていますし、状況に応じて「私(わたし・わたくし)」なんて言うこともあります。
「俺」なんてワイルドに言ってみたいですが、言ったところで全く似合わないでしょうし・・・・。
大体、一般的な一人称としては「私」「僕」「俺」「自分の名前」「儂」「オイラ」と言ったところがポピュラーなところでしょうか?
まさか、普段から「朕」とか「拙者」もしくは「麿」なんて仰ってる方もいないと思いますが・・・!?

ちなみに平安時代の頃は、「僕」と書いて、「やつかれ」「やつがれ」などと読みますが、この字の持つ意味は、下僕や召使いの意として相手にへりくだった表現であります。当時から自分を謙遜して使うような時に見られましたが、それほど一般的なものではなかったようです。

かの吉田松陰は、その書き記した手紙に自分のことを「僕」と表記していたのは有名で、その松下村塾の門下生である高杉晋作や久坂玄瑞などもこれに習って、「僕」と使用するようになったそうです。
明治以後になって、ようやく男性が自分を指す時の一人称として「僕」を使うのが浸透するようになりました。
今でこそ当たり前に使うこの「僕」という一人称は、実は最近使われはじめたと言うことになるのですね。
15:06  |  とりとめのない話  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.03 (Fri)

耳の日

今日はひな祭り、桃の節句でもあります。
それとは別に3(ミ)・3(ミ)で耳の日ということにもなっています。
ですので、今回は耳にちなんだ話をしていきたいと思います。

耳の役割は音を聞き分ける以外に、平衡感覚をも調整しています。
メニエール病と言って、突然に耳の聞こえが悪くなって、また耳鳴りを伴うような、激しい眩暈を引き起こす病気があります。
詳しい原因ははっきりとはしていませんが、これは耳を構成する部分に内耳という平衡感覚を司る箇所があって、その内耳を潤すリンパの流れが阻害されることで浮腫を生じ、結果上にあげたような症状を発現すると考えられています。

東洋医学的には、耳は腎という蔵府と重要な繋がりがあるというふうに考えています。
現代医学における腎臓とは少しニュアンスが異なり、東洋医学における腎の役割は、泌尿器・生殖器に関わること以外に、最も大切な役割として、両親から受けついだ先天の気をこの腎において貯蔵しています。
先天の気と言っても、少しピンと来ないかも知れませんが、人間の誕生に際しては、父親の精子と母親の卵子が合わさって初めて命を形成するようになります。
この時、生じた生命の灯火こそが先天の気と呼ばれるもので、人間はこの先天の気を終生担保として、後天的に食べ物を取り入れたり、呼吸をして自らの生命を維持していこうとします。
この先天の気が不足したり、それを貯蔵する腎が上手く働かないと泌尿器・生殖器に関わるトラブルに見舞われたり、また不妊症などもこの腎の弱りに大きく関係していることもあります。
そして、歳をとると耳が遠くなったりしますが、これは先天の気たる腎の力が不足することで、その関連する耳に影響が及んできていると言えるでしょう。

耳というのは、腎を根っこに例えるとその先につく葉っぱのようなもので、耳の形や大きさ、はたまた色つやなどがそのまま腎の状態を表していることになります。
先天の気を貯蔵する腎が精神的に与える影響は、気持ちの安定と、賢さであり、それは耳がつく漢字に聡明とか、「耳さとい人」と言う意の聖という字に見られることからも、腎の充実・安定した状態であれば、人の性質はこれらの漢字に符合した状態となります。
仏像や観音様等の耳を見ると、耳が一見して大きく、耳たぶが垂れ下がっているかと思いますが、これらも腎の力が満ちあふれた状態を見てとることが出来ます。
ただ面相学的には、ただ大きい耳が良いと言うことではなく、顔全体の調和が取れているかどうかも、判断の基準となります。
また先天の気が旺盛だからと言って、そう言うタイプの方は体が頑強なぶん却って、無理を重ね、この先天の気を著しく消耗しやすかったりします。

高血圧患者さんの治療の際、耳の裏側の溝の部分を高圧溝(こうあつこう)と呼ばれる箇所に、細絡と言って、糸くずのような赤い筋状の血管を認めるときなどは、ここに鍼をして、血圧を下げたりします。
また腎の働きを見るときに、耳を折り曲げたりして痛がりはしないか、もしくは耳が真っ赤な状態を認める場合、その人がのぼせている状態がないかどうかを観察したりもします。

僕の場合は、眼鏡をかける時に、この耳の存在は大変重宝しています。
耳の高さは必ずしも同じではないそうで、眼鏡を作るときはその耳の高さの違いを計算に入れて、あつらえるそうです。
実際に解剖における腎臓は左の方が右よりもやや高い位置にありますので、そう言った違いが耳にも反映しているのでしょうか?
そう思って観察してみると面白いかも知れませんね。
22:51  |  からだ  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2006'03.01 (Wed)

3月

年が明けて、あっという間に3月になってしまったという気がします。
3月は弥生とも呼びますが、弥生の「弥」は「ますます」というような意味があります。
それに「生」生い茂るに通じることから、この季節は草木が芽吹いてドンドン成長していこうという季節を表しています。
しかし旧暦で言うと今年の3月1日は3月29日になりますので、特にこの所、寒い日が続くとまだまだ草木の芽吹きを感じるのはもう少し先という感じでしょうか?
20:19  |  日記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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