天長地久
健康・東洋医学・日々の雑感など徒然と・・・<はりきゅう恵樹堂公式ブログ>
2006'08.31 (Thu)
力士雷電
僕の郷里の歩いて5分ほどの所に力士雷電の生家があります。

相撲にお詳しい方なら、雷電というとすぐピンと来るかも知れませんが、江戸時代に活躍したお相撲さんで、名前を雷電為右衛門と言います。

僕がまだ小学生の頃、夏休みの宿題で雷電のことを調べたことがありました。
そんなこともあり、昔の方とは言え、とても親しみがあるお相撲さんです。
雷電は幼少の頃より、怪力で名が通っていて、それを偲ぶエピソードとして、まだ幼い雷電が碓氷峠を荷を積んだ馬で越えようとしたところ、加賀百万石の殿様の行列に出くわしてしまい、どうにも避けられないと考えた末、荷を積んだ馬の足を持って、目より高く掲げ、無事行列を通したという逸話があります。
そんな並はずれた力の持ち主だった雷電は、23歳にして松江藩主のお抱え力士となり、29歳で大関に昇進、45歳で引退するまでの16年間27場所で大関の座に君臨し続けたそうです。
また、雷電のあまりに強さに「かんぬき」「張り手」が禁じ手とされたそうです。
生涯の相撲成績は、254勝10敗、引き分け他21。勝率が96.2%、そして連続優勝7回と、いずれも古今最高を記録し、相撲史上最強の力士と言われています。
そんな雷電が23歳の頃に、建てた家が上の写真です。
入り口を入った土間には、土俵が作られていて、

二階が桟敷席となっていて、相撲ぶりが観覧できるようになっています。

まだ小さい時分は、この家の造りにとても興味を引かれ、幾度となく訪れたものでした。

相撲にお詳しい方なら、雷電というとすぐピンと来るかも知れませんが、江戸時代に活躍したお相撲さんで、名前を雷電為右衛門と言います。

僕がまだ小学生の頃、夏休みの宿題で雷電のことを調べたことがありました。
そんなこともあり、昔の方とは言え、とても親しみがあるお相撲さんです。
雷電は幼少の頃より、怪力で名が通っていて、それを偲ぶエピソードとして、まだ幼い雷電が碓氷峠を荷を積んだ馬で越えようとしたところ、加賀百万石の殿様の行列に出くわしてしまい、どうにも避けられないと考えた末、荷を積んだ馬の足を持って、目より高く掲げ、無事行列を通したという逸話があります。
そんな並はずれた力の持ち主だった雷電は、23歳にして松江藩主のお抱え力士となり、29歳で大関に昇進、45歳で引退するまでの16年間27場所で大関の座に君臨し続けたそうです。
また、雷電のあまりに強さに「かんぬき」「張り手」が禁じ手とされたそうです。
生涯の相撲成績は、254勝10敗、引き分け他21。勝率が96.2%、そして連続優勝7回と、いずれも古今最高を記録し、相撲史上最強の力士と言われています。
そんな雷電が23歳の頃に、建てた家が上の写真です。
入り口を入った土間には、土俵が作られていて、

二階が桟敷席となっていて、相撲ぶりが観覧できるようになっています。

まだ小さい時分は、この家の造りにとても興味を引かれ、幾度となく訪れたものでした。
2006'08.23 (Wed)
里帰り
僕の田舎は、長野県の小諸と言うところにあります。
正確には、最近の市町村の合併で新しく東御市という名称になりましたが、長野県の中では中部の位置にあって、山を挟んで、群馬県の県境に近いところになります。
8月13日から16日まで、治療院は夏季休診とさせていただいて、里帰りをして参りました。
一昔前は、上野駅から鈍行列車に乗り、何回か乗り継ぎをして正味3時間以上かかるところが、長野新幹線が開通してからはその半分の時間で帰れるようになりました。
とてもに便利になりましたが、昔のような電車に揺られながら、のんびり田舎に帰るというのもそれはそれで良かったように思います。
軽井沢まで新幹線で行き、そこからはしなの電鉄というローカル線に乗り換えて行くのですが、この日軽井沢駅に降り立つと、夕方とはいえ気温23度!
東京の日中の温度が31度でしたので、全くの別世界に降り立ったかのように感じてしまいます。
軽井沢駅から、小諸駅まで行き、乗り継ぎの電車を待つ間、どうしても駅ソバの誘惑に勝てず、夕飯前だというのについ一杯食してしまいました。

田舎に帰ると、無性にこういった駅ソバが食べたくなってしまい、それがまた格別に美味しいのです!
3日間しか田舎にはいませんでしたが、向こうにいる間、家の近くにある名所等をブラブラと散歩しましたので、その時のことなどをお話ししたいなあと思います。

遠くに浅間山を望む(画面真ん中よりやや左で、二つの山の間にかすかに見える山が浅間山です。)
正確には、最近の市町村の合併で新しく東御市という名称になりましたが、長野県の中では中部の位置にあって、山を挟んで、群馬県の県境に近いところになります。
8月13日から16日まで、治療院は夏季休診とさせていただいて、里帰りをして参りました。
一昔前は、上野駅から鈍行列車に乗り、何回か乗り継ぎをして正味3時間以上かかるところが、長野新幹線が開通してからはその半分の時間で帰れるようになりました。
とてもに便利になりましたが、昔のような電車に揺られながら、のんびり田舎に帰るというのもそれはそれで良かったように思います。
軽井沢まで新幹線で行き、そこからはしなの電鉄というローカル線に乗り換えて行くのですが、この日軽井沢駅に降り立つと、夕方とはいえ気温23度!

東京の日中の温度が31度でしたので、全くの別世界に降り立ったかのように感じてしまいます。
軽井沢駅から、小諸駅まで行き、乗り継ぎの電車を待つ間、どうしても駅ソバの誘惑に勝てず、夕飯前だというのについ一杯食してしまいました。


田舎に帰ると、無性にこういった駅ソバが食べたくなってしまい、それがまた格別に美味しいのです!

3日間しか田舎にはいませんでしたが、向こうにいる間、家の近くにある名所等をブラブラと散歩しましたので、その時のことなどをお話ししたいなあと思います。

遠くに浅間山を望む(画面真ん中よりやや左で、二つの山の間にかすかに見える山が浅間山です。)
2006'08.09 (Wed)
堂のお話
われわれが、身体の不調を感じた時には、自分で病院や治療院を探すなりして、足を運んでいるかと思います。
昔の中国では、医者が各地を転々と渡り歩きながら医療行為を行っていたことがあります。
その際に、紐で通した鈴を幾つもぶら下げながら、自らが来たことを周囲に触れ歩きながら方々を回ったとされています。
今で言う往診専門と考えれば、イメージとして近いかも知れません。
このような形態で医術を行うものを串鈴医(かんりんい)と呼んでいました。
こちらからで向かなくても、向こうからやってきてくれると言うことであれば便利な気がします。しかし、これだと病気に罹った時、たまたまこの串鈴医が通りがかれば良いのですが、そう都合良く病気の方もタイミング良く出てくれるはずもありません。
病気で何日も苦しみつつ、いつ来るか分からない医者を待つというのは、相当な苦労もあったのではないでしょうか?
そのような時代背景の最中に、張仲景(ちょうちゅうけい)先生と言う大変優れたお医者さんがおりました。
この先生は、役人として働く傍ら、自らが働くその場所(役所/公堂)で患者を診ていたそうです。
多くの人々がこの張仲景先生の治療によって救われたと言います。
その事から、張仲景先生が堂に座して医術を施していた行為を座堂行医と呼んで、居を構えて医療を行う施設やお店など名称に「堂」という文字が使われるようになりました。
同じように身体の不調を感じるような時には、皆様のいつでも頼れる「堂」でありたいものですね。
昔の中国では、医者が各地を転々と渡り歩きながら医療行為を行っていたことがあります。
その際に、紐で通した鈴を幾つもぶら下げながら、自らが来たことを周囲に触れ歩きながら方々を回ったとされています。
今で言う往診専門と考えれば、イメージとして近いかも知れません。
このような形態で医術を行うものを串鈴医(かんりんい)と呼んでいました。
こちらからで向かなくても、向こうからやってきてくれると言うことであれば便利な気がします。しかし、これだと病気に罹った時、たまたまこの串鈴医が通りがかれば良いのですが、そう都合良く病気の方もタイミング良く出てくれるはずもありません。
病気で何日も苦しみつつ、いつ来るか分からない医者を待つというのは、相当な苦労もあったのではないでしょうか?
そのような時代背景の最中に、張仲景(ちょうちゅうけい)先生と言う大変優れたお医者さんがおりました。
この先生は、役人として働く傍ら、自らが働くその場所(役所/公堂)で患者を診ていたそうです。
多くの人々がこの張仲景先生の治療によって救われたと言います。
その事から、張仲景先生が堂に座して医術を施していた行為を座堂行医と呼んで、居を構えて医療を行う施設やお店など名称に「堂」という文字が使われるようになりました。
同じように身体の不調を感じるような時には、皆様のいつでも頼れる「堂」でありたいものですね。
2006'08.02 (Wed)
神奈川新聞花火大会
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