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石川啄木

2006.01.12(02:27) 54

石川啄木という人は、27歳の若さにして結核で亡くなっています。
その著作に、彼の有名な「一握の砂」という歌集があります。
この一握の砂にある詩を読んでみると、その詩の中に「悲しい」と言う語句の多いことに気づきます。

何がなしに
さびしくなれば出てあるく男となりて
三月(みつき)にもなれり

かなしきは
喉のかわきをこらへつつ
夜寒(よざむ)の夜具にちぢこまる時

あまりある才を抱きて
妻のため
おもひわづらふ友をかなしむ

何もかも行末(ゆくすゑ)の事みゆるごとき
このかなしみは
拭ひあへずも

盗むてふことさへ悪(あ)しと思ひえぬ
心はかなし
かくれ家もなし
 
放たれし女のごときかなしみを
よわき男の
感ずる日なり


と言うように、「悲しい」という語句が入った詩は、あげればきりがないくらいたくさんあります。
ザッとあげてみても、これだけ悲しいという言葉を詩に引用する啄木という人は、その詩の内容から察してみても、非常に悲哀の情に苛まれていたと考えられます。

東洋医学の生理・病理観には、それぞれの臓腑に特定の心理が宿ると考えられています。
この場合、臓腑というと五臓六腑を指し、特に五蔵(肝心脾肺腎)の中に怒喜思悲恐と言う感情を宿しています。
現代医学では、感情というのは全て脳によって生み出されると考えられています。
しかし、東洋医学における脳の役割と言うのは、主に器としてであり、その器に盛られる中身というのは、五蔵の働きによって生み出されていると言う風に考えられています。

そこで、再び啄木の話に戻りますが、冒頭に掲げたように啄木の詩には、強い悲しみの感情を診て取ることができます。
東洋医学の中で、悲しみという感情は肺という部分が宿しています。
肺というのは、呼吸器の機能を受け持つもので、加えて東洋医学の考え方には、皮膚だとか鼻だとか、息づかいの変化と言ったものも全て肺の受け持ちになります。
この肺の力が不足したり、満足に働かない場合は、悲しみの感情に襲われたり、上にあげた部分に何らかの障害を起こすことが多くなります。
その逆に、外的な要因によって、強い悲しみの感情に犯されてしまった場合にも、この肺の力を削ぐ原因となり、結果として呼吸器系の病変に罹りやすくなります。
例えば悲しくなったときに、涙が出ると同時に鼻水がグシュグシュと出てきたり、風邪をひいて寝込んでいるとき、それが一人だと無性に心細くなって、不意に悲しくなってしまうという経験があるかと思います。

そう言った見方で、更に「悲しき玩具」にある啄木の詩をいくつか診ていくと


呼吸すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凩よりもさびしきその音!

何がなしに
肺が小さくなれる如く思ひて起きぬ―
秋近き朝。


晩年は結核に冒され、貧困と病症の中で死を迎えることとなります。
啄木は兄弟や幼いわが子を亡くすという悲しみが、常に彼の周りを取り巻いていて、自然、こうした呼吸器系を病みやすい状態に陥っていたとも考えられます。
歴史上の人物や、著名人の生き様から死に至るまでを、東洋医学的な見方で考えていくと、その性格から起こるべくして起こった病というのも見えることがあります。
またあるきっかけによって、それが五蔵の心理状態に左右して病気を引き起こしたのではないかと推察することもできます。
そう言った推察が可能であるのも、心と体の密接な繋がりを前提にしている東洋医学の特色とも言えます。
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コメント
東と西の医療がいつからこんなに隔たってしまったのでしょう?身体や病への考え方が全く違ってしまったなぁと思うときがあります。病院のドクターがむやみやたらと出す検査。その中で異常値が出ればラッキーみたいな診察。更には保険点数稼ぎの山のような薬のお土産。この壁にぶち当たる度に私も悲しくなります。東と西の良いところがもっと上手く機能してくれるような、人に優しい医療の発展を願ってやみません・・・。
【2006/01/12 16:39】 | しのざき #- | [edit]
西洋医学は、細菌に対しての見識が広まりをみせた中世から、そして、かのナイチンゲールが活躍した第一次世界大戦を境にして、急速にその医学の主座を占めるようになりました。
戦争により、多くの傷病兵を治療するのに求められるのは、大勢の人間が平均して効果があり(投薬)、かつ弾丸痕や傷を迅速に治療するための外科的治療でした。
その際、周りの人の平均から外れるような例外や、精神的な問題というのは、ほとんど考慮されませんでした。
けが人を早く治して、再び戦地に送り出す状態にするには、そう言った悠長なことは言ってられません。
西洋医学というのは、そういった大勢のデータを平均化して、健康・不健康をその枠当てはめる、言うなれば多勢の医学と言えるかも知れません。
それに対して、東洋医学はあくまでも、一個の人間に起こりうる現象を捉え、治療する、個の医学と言えるでしょう。
ですので、一度に大量の人間に、同じ治療を施して効果を出すというのには向いてはいないのです。
それぞれにメリット・デメリットがあるのですが、現行の医療のあり方には、疑問を感じる部分が多々あります。
大切なのは、"病名を治す”と言うことではなく、病気に苦しむその人にもっと目を向ける必要があるのではないか、と感じています。
【2006/01/13 01:28】 | 青峰 #- | [edit]
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