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雷電の手形

2016.04.28(23:50) 655

今日は朝から雨降りでした。
さすがに、ジョギングも草むしりも今朝はお休みです。
窓越しに見る雑草達が、恵みの雨を受けてムクムクと生気が漲ってくるようで、雨が上がった暁には、こちらも相当の気合いを入れて草むしりに取り組まなければいけなさそうです。

ですので、今朝は晴耕雨読ならぬ晴走雨読。
先日、手にした「日本史有名人の身体測定 篠田達明 株式会社KADOKAWA」を読みました。

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現代人に比べると、昔の人は総じて背が低いと言う印象がありましたが、この本の中で紹介されている前田利家は179センチ、長曽我部元親などは180センチもあったと書かれています。
しかも藤堂高虎においては、188センチ!
安土桃山時代頃の男性の平均身長が157センチと言われているので、かなり抜きん出て大きな体躯であったようです。

この本は、歴史上の人物の身長の考察にとどまらず、その持病や亡くなった際の死因などにまで言及しています。
その中で千利休は、パワーハラスメントによる自死と注釈があり、千利休の切腹の理由が秀吉のパワーハラスメントであったと解釈しているなど、現代人の目線で歴史を俯瞰して、かつ作者の独特な感性がふんだんに盛り込まれた一冊となっています。

そして、何よりも僕の一番興味を魅かれたのは、郷土の英雄、雷電為右衛門も紹介されていたことです。
雷電は江戸時代に活躍した力士で、身長197センチ、体重169キロの巨漢で、今なお史上最強の大関として名を残しています。
その雷電の最強の大関の片鱗を物語る逸話が、伝わっていて、僕の小さい頃、祖父がよく話してくれたものです。
たとえば、母親が庭でお風呂に入っていた時に、突然激しい雨に襲われ、まだ幼少の雷電がその風呂桶ごと、母親を家に入れてあげたとか、人の腰の高さほどある石を鋤にぶら下げて、農作業をしながら身体を鍛えていたなど。
いまでもその雷電が持ち上げていたとされる石は、雷電の生家の玄関前にありますが、僕などが押しても引いてもびくともしません。
その雷電のものとされる手形のレプリカが我が家にもあります。
IMG_7140.jpg

実際に僕の手と比べてみると、如何に雷電の手が大きかったかよく分かります。
こんな手で張り手でも食らわされようものなら、僕など蚊を叩き潰す様なものであったと思います。
IMG_7141.jpg

この本で示すように、この手形からも雷電が197センチの巨漢であったと言うのは、よく納得できました。
皆さんも日本史上のご贔屓の人物がどんな体格だったか興味があるのではないでしょうか。
そんな興味が刺激される一冊でした。

くるみ堂長岡はり灸院
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天長地久 ~長野県東御市から送る鍼灸師の日常~


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