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山城探訪〜丸子城〜

2017.03.14(10:09) 721

よく晴れた日曜日、冬の寒さが緩み、雪解けした大地の片隅に鮮やかな若芽がうっすらと見え始める頃は、いよいよ山城攻めにもってこいの季節です。(僕の個人的な意見ですが・・・)
何故なら、季節が夏に入ると草に覆われて色々な遺構などが隠れてしまったり、山の中に入れば、蜂や、熊、蛇などの虫獣に対する気遣いもしなければなりません。
その点、この季節の山は草木が生い茂っていない分、見通しがよくて走りやすく、雪も溶けてきているので、足場も安定しています。

先日、購入した宮坂武男先生の「信濃の山城と館」に触発されて、機会があれば思う存分山城探訪をしたいと思っておりました。
今回は、丸子町で行なわれている「東日本大震災チャリティーつながるマーケット」へ足を運びつつ、その会場近くに位置する丸子城を皮切りに、一気に南牧村へと転進して、武田信玄が信濃攻めで行軍したルートに位置する山城を回れる限り回ると言う壮大な!?(無謀な)プランを立ててみました。

まずは10時の開催に合わせて、マーケットの会場である丸子総合体育館に到着。
第18回を数える復興バザーも今回が一区切りと言う事で、朝から大勢の方が足を運んでおられました。

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これからの山城攻めに備えて、マーケットの屋台で充分エネルギーを摂り、道中カロリー切れになっても大丈夫なようにおやつも購入して、早速丸子城へと向かいます。
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丸子城の登り口に位置するのは、木曾義仲に由来が深いとされる安良居神社。
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義仲挙兵にあたり、戦勝祈願を行なったとされる神社で、上丸子区の氏神になるそうです。

この境内から隣の芝生公園に回り、丸子城へと登って行きます。
丁度尾根筋に沿う形で、歩みを進めて行くと次第に傾斜がきつくなり、道幅も狭い上に、左右は切り立った谷となっています。
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ちょっと油断をして、道を踏み外そうものなら、麓まで一気に転がり落ちてしまいそうです。
高所恐怖症の僕は、おっかなびっくりで足を運ぶ事になったので、快調に登っていたスピードに急ブレーキがかかってしまいました。

さすが、丸子表の戦いで徳川家康の軍を迎え撃った山城だけあって、簡単に人を寄せ付けません。
まさか、最初の山城でこんな苦戦を強いられるなんて思いもよりませんでした。
ここまで登るのにこれだけ体力を費やしていると言うのに、ここからまた敵方と切り結ばなければならないなんて、僕なら間違いなく、登った所でサクッと討取られてしまうでしょう。

急な斜面の岩場に備え付けられたロープを伝って登り、程なく歩いて行くと、そこは二の郭のある開けた場所となっていました。
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櫓から景色を臨むと、丸子の町から遠く浅間山の様子まで一望できます。
往時もこうして敵が布陣する様子を眺めていたのでしょうね。
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さて二の郭からさらに稜線に沿って400m程進み、いよいよ本郭へと向かいます。
山の構造上なのでしょうが、二の郭から本格までの距離が随分あるように感じました。
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ここが山城の心臓部にあたる部分で、雨水を利用した井戸の遺構が残されていて、戦いの生々しさを感じます。
喉の渇きを、この井戸に溜まった水で潤すこともあったでしょうね。
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そのまま、尾根を進み、結局山を縦断するような形で、下山しました。
当初は、これ程時間がかかるとは思わず、予想以上に難儀しました。
麓から山城を臨むと丁度2こぶの山頂部にあたる部分が二の郭、本郭になっていたようです。
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こうして見るとなだらかな稜線に見えますが、実際には、山稜の狭い道幅、時に急峻な登りがありと、なかなか険しい道筋でした。
その分、山の地形を余す事なく利用した山城の威容は充分感じ取る事ができ、大満足です。

徳川家康もこの丸子城を攻める際には、攻めあぐねて撤退したそうですから、随分と苦々しく思った事でしょうね。

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天長地久 ~長野県東御市から送る鍼灸師の日常~


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