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山城探訪〜海尻城〜

2017.03.14(22:26) 722

丸子城から下山してすぐ、次なる目的地、南牧村にある海尻城へと一気に車を走らせます。
丸子から立科、望月、佐久、佐久穂、小海と八ヶ岳を軸に時計回りに巡るドライブ。

快調に車を飛ばしていると、立科町に入った所で、ふと案内板が目に留まりました。
気になって、途中で車を止めて看板の所まで戻ってみると、その看板の袂に「切石」と呼ばれる石が転がっていました。
面白いのは、その石の頭の所が、まるでノコギリで切ったように綺麗な溝になっていました。
何でも丁度この場所が、昔の小県郡と北佐久郡の境にあたる所であったようで、この溝がその境界を示す役割をしていたそうです。
疑り深い僕は、元々こんなに綺麗な切れ込みが入っていたかどうかが疑わしくて、しばし切石をじっくりと検分してしまいました。
端で見ていたら、おじさんが石の周りをグルグルと回っている姿は、さぞかし怪しい人に映った事でしょう。
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途中、立派な藁葺きの山門に目を奪われ、反射的にお寺の駐車場に飛び込んでしまいました。
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そのお寺は「津金寺(つがねじ)」と言って,佐久三十三番観音札所の33番目にあたるお寺だそうで、去年その1番目にあたる釈尊寺、2番目の東漸寺にジョギングにて参拝していたので、一足越えでお詣りにくる事となりました。
山門の堂々たる構えもさることながら、そこにドーンと構える仁王像は、独特の雰囲気がありました。
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実は、仁王像は未完成のままここに佇んでいるそうで、その由来が、これを作成した九頭権現がこの仁王像を制作する際に、その制作過程を覗いてはならぬという禁を破って、見てしまった者がおり、たちまち龍の姿となって昇天してしまった為という、つるの恩返し的なテイストの逸話があるそうです。
逆に、この木肌が荒削りの状態の仁王像であるが故に、かえって迫力を感じてしまいます。

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地元では野草の寺としても知られ、もう少しすればカタクリの花が見頃を迎えるのだそう。

さらに本堂の奥の裏山には、滋野氏が建てたという石造宝塔があります。
滋野氏は、奈良時代から平安時代にかけて、この辺り一帯を治めていた氏族で、僕が住む地籍が滋野と呼ばれるのも、この滋野氏に由来しています。
滋野氏は、後に海野氏、望月氏、禰津氏という傍流を生み、一説によると真田氏もこの滋野氏を祖とする一族になるとも言われています。
ふと立寄った寺で、何やらご縁を感じ、自然と手を合わせていました。
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この時は、気がつかなかったのですが、実は武田信玄がここに立寄り、脱いだ兜を松に掛け、腰掛けたとされる石もあったそうなので、またカタクリの花が咲く頃に立寄ってみたいですね。

当初は、一目散に海尻城に行く予定だったのが、思わぬ所で寄り道してしまいました。
3時を過ぎる辺りでようやく海尻城のある南牧村に入ってきました。
周辺を山で囲まれている為か、まだまだ日が高いとは言いながらも、うっすらと日が陰り、夕方の気配が漂い始めます。

本日2城目となる海尻城は、武田家が信濃攻略に際し、前進基地となった重要な拠点となった山城だそうです。
山城の登り口は医王院の境内に入ってすぐにあります。
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これぞ山城の入口という感じの冠木門をくぐると、そこから標高50m程の小高い山そのものが、海尻城となります。
登り始める事5分程で、本郭に到着する事ができましたが、途中落ち葉の下の地面が凍っており、何度か足が滑りそうになるヒヤッとした場面もありました。
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海尻城は尾根が街道に向かって張り出した構造になっているので、野辺山側も佐久穂側のいずれに渡っても見通しのきく要害であった事が分かります。
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今度は海尻城から,いよいよ信玄初陣の地、海の口城へ向かいます。

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天長地久 ~長野県東御市から送る鍼灸師の日常~


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